復元から40年を経た薩摩切子。
その魅力と可能性を日々追求する
百年の眠りから醒めた幻の切子。
復元の中心となった工房を訪ねる。
幕末の激動期、島津家28代当主の島津斉彬の命により生まれた「薩摩切子」は、斉彬の急逝や明治維新前後の混乱の中、短い期間で途絶えてしまいます。様々な色ガラスを被せ精緻なカットを施したガラス器は、英国公使パークスに「西洋ノ博覧会ニ出シテ恥シカラヌ程ノ手際ナリ」と評されたほど美しいものだったようで、薩摩切子が「幻の切子」と語り継がれてきたのには、その美しさが人々の心に強く刻まれていたことにも理由があったのかもしれません。
製造が途絶えて約100年後、この美しい薩摩切子を蘇らせたいという熱い思いのもと、1985年に薩摩ガラス工芸株式会社(株式会社島津興業に統合)が設立され復元事業が開始されます。復元事業の開始から40年近くの時が流れる中、二色被せなどの新技法も開発され、薩摩切子の新たな歴史が刻まれてきました。今回の取材では、復元事業の中心となった鹿児島県の薩摩ガラス工芸の工房を訪ねました。
生地作りからカット、
磨きまで見学できる薩摩切子工場。
薩摩ガラス工芸の工房「薩摩切子工場」があるのは、JR鹿児島中央駅から車で数十分の場所。ここは日本の近代化・洋式化にいち早く取り組んだ薩摩藩主・島津斉彬が、日本初の工場群「集成館」を置いたエリアで、2015年7月に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録されたこともあり、国内外から日々多くの観光客が訪れています。「薩摩切子」の工場は公開されており、中ではたくさんの職人がそれぞれの持ち場で忙しく立ち回る様子を見ながら、製作工程を詳しく知ることができます。薩摩ガラス工芸では「吹きガラス職人」、「切子職人」を技術職として採用していますが、ほとんどは未経験の状態から、伝統の技を身につけていくそうです。
ジュエリーの世界から、
偶然の出会いで切子職人に。
切子職人として定番商品のカットを行うだけでなく、カット職人としてオリジナルデザインも手がける、上國料将(かみこくりょう・たすく)さんに、お話を伺いました。2008年に薩摩ガラス工芸へ入社したという上國料さんは今年で16年目。どのような経緯で、薩摩切子の職人になったのでしょうか。
「高校を卒業したあと、いろいろなアルバイトをしながら自分の進む道を探していたのですが、高校生の頃から好きだったシルバーアクセサリーの仕事に興味を持ちました。そういった分野のことを学べるところを探してみたところ、東京のヒコ・みづのジュエリーカレッジという専門学校を探し当て、ジュエリーのデザインから制作まで学べるコースに2年間通いました。卒業後の就職先を探すにあたっては、九州に戻って、宮崎のジュエリーショップに就職。そこは宝石鑑定士やオーダーメイドを行う職人もいるところで、自分自身は接客を担当していました。その頃は制作現場ではありませんでしたが、お客さまがセミオーダーをご要望の際は、制作工程を知っていることが役に立ちました。ただ、やはり制作に携わりたいという気持ちがあり、退社。鹿児島に戻ってハローワークで技術訓練をしながら、求人情報を何気なくみていた時に、薩摩ガラス工芸が職人を募集していることを知りました。薩摩切子が鹿児島を代表する工芸品であることは知っていたので、これはと思い応募しました」。
運命の出会いから切子職人としての道を歩み始めた、上國料さん。最初は磨きの工程を経験し、3年半ほどしてカットの工程に携わるようになったそうです。
新しい色や組み合わせの誕生が、
薩摩切子の可能性を広げていく
カットの工程に携わるようになって、しばらくは薩摩ガラス工芸の薩摩切子「島津薩摩切子」の定番デザインのカットを日々行なってきた上國料さんですが、薩摩切子復元35周年のイベントで、オリジナルデザインの作品を製作するという機会に恵まれます。
「薩摩ガラス工芸の切子職人7名が、それぞれ違う色でフリーカップをデザインし限定販売するという企画で、私が担当した色は『島津紫』と呼ばれる紫色。自分でデザインした薩摩切子が展示会場に並ぶこともさることながら、展示会場でお客様と直接会話して感想を聞く機会はこれまで無かったので、とてもやりがいを感じましたね」。
その後、鹿児島の百貨店で催された「次世代を担う鹿児島の工芸家たち展」では、薩摩ガラス工芸のカット職人として、オリジナルデザインの作品を出品。伝統的なデザインとは、また違った魅力のあるデザインが、多くの人の心をとらえています。最後に上國料さんに、薩摩切子の魅力や可能性について伺いました。
「薩摩切子は色ガラスを厚く被せている生地をカットするため、カットの深さによるグラデーションが生まれます。これが『ぼかし』と呼ばれる特徴なのですが、薩摩ガラス工芸では2001年に『二色被せ』の切子を発表し、蒼黄緑(あおきみどり)、ルリ金赤、ルリ緑の組み合わせが生まれました。その後も2015年には「思無邪」シリーズと呼ばれる真珠白(しんじゅはく)や墨黒(すみぐろ)のモノクロ色も誕生しています。まだ、世の中に出ていない組み合わせもあり、新しい表現の可能性にあふれています。薩摩切子ならではの『ぼかし』の魅力を、これからも追求していきたいです。自分自身としては、貴金属を使った作品づくりにも挑戦していきたいですね」。
2025年、薩摩切子は復元から40年の節目を迎えます。復元された伝統の技術は、人の手から手へと受け渡されるだけでなく、さらに美しくオリジナリティのあるものへと変化を続けているようです。上國料さんをはじめ、薩摩切子に携わる人たちが次にどんな新しい世界を見せてくれるのか、とても楽しみです。
薩摩切子