求道者たち vol.25
雲州そろばん 2014/10/15

木と竹で作る精巧な計算機“そろばん”。
現代の名工のワザを惜しみなく次世代へつなぐ

山深い奥出雲に、
現代の名工を訪ねる

雲州そろばん伝統工芸士 内田文雄(うちだ ふみお)/1947年生まれ。中学卒業後、そろばん職人の世界に入る。1975年に同じくそろばん造りの名人、父・文吉(雅号・雲文)に弟子入り。1987年「雲州そろばん品評会最優秀県知事賞受賞」。1991年「英国ジャパンフェスティバル」にて制作実演。2013年に厚生労働大臣が卓越した技能者を表彰する「現代の名工」に、そろばん職人として初めて認定される。雅号は二代目雲文(うんぶん)

 平成の大遷宮に湧く島根県出雲市内から、車で走ること約1時間。山深い秘境に「神話の里」として知られる奥出雲町があります。訪れたのは夏の終わり。長閑な田園風景が広がる集落は、かつて「たたら製鉄」で全国に名を馳せたと聞きます。そして、「たたら製鉄」と切っても切れない関係性で発展してきたのが国指定の伝統的工芸品「雲州そろばん」です。“質の雲州そろばん”と称される高い品質を支えるのは、187工程の一つも疎かにしない雲州の職人魂。中でも、2013年にそろばん職人として初の「現代の名工」に認定された内田文雄さん(雅号・二代目雲文)は、その頂点に立つ名人です。職人歴52年の内田さんに、修業時代のお話、雲州そろばんのこれからについて、うかがってきました。

内田さんが製作した高級そろばん。希少価値の高い高級素材を使い、オーダーメイドで製作する。高いものだと一丁20万円ほど。

神話の里、奥出雲。JR西日本・木次線「出雲横田」駅の駅舎には、大きなしめ縄が掛けられている。

隆盛を極めた
雲州のそろばん

 雲州そろばんは、江戸時代後期の1832年に奥出雲町亀嵩(かめだけ)の大工・村上吉五郎が、芸州(広島)のそろばんを修理したことをきっかけに製造が始まりました。そろばんは、木と竹で作られた精巧な計算機。素早い指の動きにも珠が狂いなく動き、またピタリと止まらなければ用を成しません。職人には材料となる木や竹の性質の熟知、そしてその性質を活かした精度の高い加工のワザが求められます。雲州のそろばん職人が高いワザを持つのは、“良い物を造ろう”という心意気と、黒檀や黄楊そして農家で何十年も燻された煤竹などの堅い素材を加工する道具を、数多くあった鍛冶屋で容易に調達できたという背景があります。また奥出雲を含む中国山地一帯では、全国の鉄の9割以上を生産しており、鉄を求めて多くの商人が集まったことから、そろばんの需要も高かったのだそうです。
内田さんが中学を卒業して、そろばん製造会社に就職した1962年は、たたらの火こそ消えていても「隣近所、そろばん屋さんばっかり」「農業所得をそろばん製造の所得が上回る」ほどの賑わい。全盛期は120万丁のそろばんが、奥出雲から出荷されていたと言います。内田さんの家も“そろばん屋”。お父様は、独学でそろばん造りを極め、天皇陛下にそろばんを献上したほどの名工でした。

里山をわたる風が、まだ青い稲を揺らす。清らかな水と、朝晩の寒暖差が育む米は「仁多米(にたまい)」という有名なブランド米として人気。

奥出雲・横田は、多くの家がそろばん製造に携わる「そろばんの街」として賑わった。

名工と知られた父。
見事なワザに魅せられる

 「親父はね、やるなら他人の飯を食べないけんと。家にいると甘えが出ると」。その言葉に従い、内田さんはそろばん製造会社に勤めます。13年後の1975年には職人を何人か遣う立場になり、また家庭を持つような年齢にはなっていましたが、最高峰の仕事をし続ける父の背中が忘れられず、もう一度“弟子入り”を志願します。「まぁ(今度の弟子入りは)、受けてくれたけど全然レベルが違って、もう最初からですわ(笑)」。そろばんの持ち方に始まり、道具の調え方、すべてに名工のこだわりがあり、打ちのめされたと内田さんは言います。意に添わないと、差し金が飛んでくる。あるときは「こんなもん切れるかぁっ」と鉋が飛んでくる。そんな壮絶な瞬間はあったものの、やはり名工の仕事は「それはもう見事ですよ。見ているだけでもすごく参考になります。まるっきり違う」というほど凄かったそうです。
そして入門から7年後の1982年に、内田さんは「二代目雲文」を名乗ることを許されます。名工は弟子の成長を認め、「もう年だけん」と隠居してしまいます。その引き際も見事だったと言います。

桐箱入りの自作の高級そろばんを見せてくださる内田さん。

二代目雲文の銘が入ったそろばん。銘が入るのは名工の証。また、雲文、二代目雲文ともに一度も修理のために戻ってきたことがないとのこと。それだけ堅牢で精巧な作りだということだ。

協業組合の設立、
そして後進の育成へ

 いま内田さんは「雲州そろばん協業組合」で、“二代目雲文”の銘が刻まれる高級そろばんの製造、そして後進の指導にあたっています。「雲州そろばん協業組合」は1997年、そろばん需要の低迷を予測した島根県の指導のもと、内田さんをはじめ職人たちが協力して設立したものです。設立の話があった頃には、そろばんがこれほど衰退するとは内田さんも思っていなかったそうです。40数社あった事業者も、今は4社に減りました。
厳しい環境のなかですが「雲州そろばん協業組合」では、職人の採用を行っています。いま現在も若手が2人、そろばんの製作に携わっており、また今後も少しずつ採用をしていく予定だそうです。

「雲州そろばん協業組合」の「そろばんと工芸の館」には、工房とショールームがある。島根県仁多郡奥出雲町下横田76-5
工房の風景。187工程を分業して製作するが、ほとんどが手作業で行われている。
珠を軸に差す工程。たっぷりと珠の入った箱の中を手首を返しながら動かしていると、軸に珠が自然と刺さっていく。
「雲州そろばん協業組合」では若手の採用もしている。

今後の採用情報は「雲州そろばん協業組合」のホームページで。http://unsyusoroban.com/

見直されるそろばん。
新たな扉を開く人、求む。

 実はいま、そろばんの良さを見直す動きが広がっています。海外では日本の高い基礎学力の根幹に“読み書きそろばん”があるとの評価があり、そろばんを学校教育に採り入れる動きがあります。また日本でも、2008年に改訂された新学習指導要領に小学校3年・4年の複数学年でのそろばん指導が盛り込まれ、そろばん教室の生徒数、珠算能力検定受験者数は増加の傾向にあります。“脳トレ”人気に押され「集中力・記憶力が向上する」とそろばんの効能にも注目が集まっているそうです。静かなブームに後押しされ、そろばん職人の育成も求められています。内田さんは意欲のある人には、親子二代で磨いてきたワザを惜しみなく伝授するつもりだと言います。
そして雲州そろばんは、意欲のある人とともに、厳しい環境の中でも名人のワザを新たな商品開発などに発展させる発想力のある人、そんな人を待っています。新潟県の燕市が和釘生産の技術を時代の流れとともに和製金属生産、洋食器生産と技術を展開してゆき、そして「磨き屋シンジケート」が金属研磨を世界が注目する商品にした例もあります。
世界に誇るワザを、つないでいく力がここでも求められています。

 興味のある方に、職人の仕事を体験いただけます。詳しくは以下のサイトをご覧ください。
「雲州そろばん職人一日体験」はこちらから
ちなみに、開催時期は ~ 平成27年1月31日です。お早めにお問い合わせさい。

燻され堅く締まった煤竹から、そろばんの軸になる「芯竹」をつくる。煤竹の一番堅い部分を丁寧に、そして力強く引き出す名人芸。52年間の職人人生で積み上げたワザを惜しみなく伝授したいと内田さんは言う。

「芯竹」は椋(むく)の葉で磨く。化学塗料を一切塗ること無く、なんとも言えない輝きが出る。先人の智恵が詰まった伝統工芸ならではのワザだ。

これが、
現代の名工のワザ

 現代の名工・内田さんに187工程あるという、そろばん造りの一部分を見せていただきました。そろばんは大きく「珠」「軸」「枠」で構成されていますが、見せていただいたのは「軸」を煤竹からつくる工程。名人のワザ、そして道具の数々をご覧ください。

煤竹の表面(甘皮)を小刀で削ると一番堅い部分が出てくる。この一番堅い部分を軸の頂点に持ってくるように引くのがコツ。手作業でなければ出来ない作業で、機械でやろうとすると一番良いところが木っ端になり無駄がでる。手作業だと竹一節で約25丁分の軸ができる。
【小割】小刀を使って竹を細く割っていく。
道具は、ほとんどが手作り。
【しんこき】無数の穴の空いた鉄板を使い、丸い軸にしていく。穴の中に竹を通してペンチで挟んで引き抜く。
鉄板を適宜変えながら、「しんこき」を行う。
【仕上磨き】椋の葉を使って艶を出す。指が摩擦熱で熱くなるまで続ける。
椋は青い葉のうちに収穫して蒸し、乾燥させる。乾燥させた葉を水で戻して使う。
内田さんのお父様、雲文が紡織の道具を改良してつくった、珠の穴を削る道具。

心を込めて手作りされたそろばん。内田さんは、「長年使ったそろばんを修繕してお墓に持って入りたい」という老夫婦の希望に応え修繕したこともあるという。電卓では生まれない物語かもしれない。