京都府 西陣織

 西陣織の歴史

名の由来は、応仁の乱。
平安京の朝廷が愛した織物

西陣織源流は、古墳時代の5、6世紀頃。中国大陸から渡ってきた秦氏一族が京都の太秦を拠点に、養蚕と絹織物の技術を伝えたことが起こりだといわれています。平安時代には、朝廷へ貢ぐ高級織物を生産するなど、国営の織物業として発展しました。鎌倉・室町時代初期になっても、その価値は揺らぐことはなく、公家や武家にも親しまれました。しかし、1467年の「応仁の乱」により、京都が戦場に。11年間続いた戦争で多くの織物の職人が分散。京都の織物業は壊滅状態になりましたが、戦後、職人達は再び戻り復興を誓いました。応仁の乱の西軍の本陣跡地で再開したことから、西陣織と呼ばれるようになったのです。その後も、中国大陸の先進技術やフランスのジャカード織機導入などの発展を続け、今では高級織物の中心地として高い名声を得ています。

 西陣織の魅力

全十二種類の優雅な絹織物。
祇園祭を盛りたてる西陣のワザ

西陣織「多種少量生産の先染めの紋織物」。西陣織の特徴は、このひとことに集約されます。職人ワザで糸から染める先染め。色糸を使って織り出す紋様。緻密な紋様が醸す、色豊かな朱珍(しゅちん)をはじめ、綴(つづれ)、緞子(どんす)などの全十二種類。多くの品種の絹織物がつくられていますが、多くの工程、多くの専門職の手が必要であり、生産は少量です。これが、西陣織が高級織物である所以です。毎年7月に開催される京都祇園祭では、西陣織の粋を見ることができます。山車(だし)のひとつであり、縄のみで組み上げられる山鉾(やまほこ)には、優雅な装飾が施されています。西陣織のワザが息づき、祭りの華やかさを引き立てているのです。

 西陣織ができるまで

専門の職人が多く携わる。
一本一本の糸に込められる思い

西陣織ができるまで先染めの西陣織ですが、糸を染める前に、図案を考えることから始まります。伝統を大切にしつつ、新しいデザインをプラス。織物の設計図を作成するために、図案を拡大して方眼紙にうつしとり、どのように織るかを色別に塗ります。そして、紋紙と呼ばれる短冊型の紙にピアノ式紋彫機を使って穴をあけます(ジャカード)。その後、糸の太さや風合いを出す撚糸を行い、織元の指示通りの色に染め上げます。染色した糸を糸枠に巻き取り、必要な長さと本数に合わせて整えます。次に綜洸(そうこう)です。綜洸とは、たて糸を引き上げてよこ糸を通す道をあけるための機械。西陣には綜絖業という職業があるくらいワザが必要です。手機で製織後、仕上げを行い完了です。どの工程も専門の熟練した職人技が重要です。

主な産地・拠点 京都府
このワザの職業 織物職人 法衣金襴織物師
ここでワザを発揮 着物地、金襴、裂地、緞帳
もっと知りたい 西陣織会館
京都伝統産業ふれあい館