長野県 松本家具

 松本家具の歴史

太平洋戦争後、民芸運動や
英国家具の影響を強く受け発展

松本家具松本家具は、松本城が作られたころ、松本藩のもとで商工業の一つとして始まり、江戸末期には帳簿や衣類などを収納できる帳箪笥(ちょうだんす)が多くの商家で使われました。その後、交通の発達と共に各地で売られるようになり、松本は全国屈指の家具の産地に。しかし、太平洋戦争後の混乱で、家具の生産は休止状態になり、木工職人はバラバラに散ってしまいました。そこで、松本民芸家具の創始者であり、創業者である池田三四郎は、職をなくした名工たちを集め、戦後の日本に必要と考えた洋家具をつくることに。また昭和23年「民衆の暮らしに寄り添った実用品にこそ、人間生活に不可欠な美が宿る」という民芸の思想に影響を受け、木工業の復興、ひいては松本市の産業復興を牽引(けんいん)。昭和28年には、来日した英国のバーナード・リーチ氏に英国家具の製作指導を受けたことで、今日の松本家具を代表する「松本ウインザーチェア」の基礎が築かれました。

 松本家具の魅力

木の持ち味を生かしながら
実現した堅牢さと重厚感

松本家具和家具と洋家具との本格的な融合とも称される「松本家具」は、最も高度な技術を要する極めて堅牢な仕口(しくち/木と木をつなぐ部分の構造)で組み立てられるので、親から子へと代々使い継ぐことができる頑丈さを誇ります。また、使い込むことで味わいが深まり、しっとりとした潤いのある光沢を持つようになることも魅力。一方で、木目の力強い美しさや自然素材ならではの温かみなど、木の持ち味を存分に生かしながら、十数回にわたって塗り重ねる「拭漆塗(ふきうるしぬり)」で生みだされた、際立つ重厚感も見どころであり、見る者を強く惹きつけます。

 松本家具ができるまで

伝統的組接(くみつぎ)技法で組み、
拭漆塗で丁寧に塗装し完成

松本家具ができるまで松本家具の製造工程には、平行していくつかの工程を同時に進行する場合もあるので、この順番とは限りません。はじめに、天然乾燥後、人工乾燥させたミズメ(ミズメザクラ)、欅(けやき)、楢(なら)などの樹木に下絵、縮図、現寸図、詳細図を書き、型紙、型板を作制します。つぎに木地加工の工程を経て、家具に表情を与える錺(かざり)金具類を型板から切断し、磨く工程に移ります。その後、伝統的組接技法で、接手(つぎて)、組手をつくり、仮組のできる段階まで進めていきます。「組立加工」の工程では、部材を調整しながら仮組をし、本組に備えます。そして、主に「拭漆塗」で丁寧に塗装していき、「仕上加工」の工程に移ります。最後に、扉、抽斗(ひきだし)など各部の取り付けを行った上で、各部の機能の点検および調整を行い完成です。

主な産地・拠点 長野県
このワザの職業 指物師 箪笥職人
ここでワザを発揮 箪笥、飾り棚、座卓
もっと知りたい 松本家具工芸協同組合/松本民芸家具