岐阜県 飛騨春慶

 飛騨春慶の歴史

創始から二者一体。
木目の自然美に魅せられて

飛騨春慶約400年前の江戸時代の初頭、神社や寺を建築していた大工棟梁・高橋喜左衛門がある時、打ち割った椹(さわら/ヒノキ科の針葉樹)の木目の美しさにひかれて盆を製作。その木目の美を活かす透漆(すきうるし)の手法で、塗師・成田三右衛門が仕上げたのが始まりといわれています。盆は、高山城城主の長男である金森重近に献上。素材感とつやの見事な調和に魅了されたそうです。名がついていないこの漆器は、瀬戸焼の祖とされる陶工・加藤景正(かげまさ)作「飛春慶(ひしゅんけい)」に似ていることから、春慶塗と呼ばれるようになったといわれています。その後、春慶塗は茶道具、花器、家具などの実用品として広がっていきました。木地師と塗師による二者一体の製造方法は、現在にも受け継がれ、お互いがワザを競い合うように名器を生みだしています。

 飛騨春慶の魅力

飛騨のワザが凝縮。
軽くて丈夫、しかも長持ち

飛騨春慶木目の自然美と木地師と塗師の二者一体で作る飛騨春慶は、「春慶には飛騨の伝統工芸が集約されている」との言葉があるほど、曲げ・塗りの技法に優れています。飛騨春慶に使われる材は、5~6年の長い時間をかけて自然乾燥した檜(ひのき)、椹、栃など。木地師が、年輪の間隔や柔らかさといった木の性質を見極めて木地にします。その後、塗師に渡り、3~4ヶ月を費やして仕上げています。何度も漆をすり込むことで、美しさだけでなく、丈夫さをも兼ね備えた漆器になるのです。天然の木目の美しさを活かした飛騨春慶は、透明感のある淡黄金色が多く、奥深い風合いを醸し出しています。曲げと透漆塗りの2つのワザが凝縮した漆器です。

 飛騨春慶ができるまで

木地師と塗師の完全分業。
職人から職人へと受け継がれる

飛騨春慶ができるまで飛騨春慶は、木地師から塗師へと分業で製造されます。まず、5~6年かけて自然乾燥した材を製材所で板に加工し、さらに倉庫で自然乾燥します。十分乾燥させた後、板を製品の大きさに切ります。これらの工程では、木に合った乾燥や木取りが必要です。長い経験と磨き上げたワザで、木の性質を見分けます。次に行う木地製作は、板を割って組み合わせたり、板を曲げて丸い器をつくったり、ろくろ機で回転させながら刃物でけずるなど、製品によって手法が異なります。そして、仕上げられた木地は、塗師へとわたります。塗師がまず行うのは、一番大切だといわれている目止め。塗面を平滑にし、色がきちんとなじむように目の細かい粘土を塗ります。次に、淡黄金色などを着色。下塗り後、サンドペーパーで磨き、漆をすり込みます。何度も行うことで、固く透き通ります。仕上げの上塗りは、塗師がブレンドした透明な漆を塗ります。その日の温度・湿度によって、微妙に配合を変えるなど、職人の勘とワザが重要です。最後に「ふろ」と呼ばれる大きな乾燥室で、十分に乾燥され完成します。

主な産地・拠点 岐阜県
このワザの職業 塗師 木地師(漆器)
ここでワザを発揮 盆、花器、重箱、菓子器、茶道具、文庫、卓上品、和家具
もっと知りたい 飛騨地域地場産業振興センター