求道者たち vol.40
東京七宝 2022/8/31

将軍を魅了した技を、現代に伝える。

幕府お抱えの七宝師を祖とする、東京七宝。

 「七宝(しっぽう)」とは、「胎(たい)」と呼ばれる金属製の台の上に、ガラス粉の釉薬を載せ高温で焼成した工芸品。多くの人が、一度は目にしたことがある親しみのある工芸ではないでしょうか。
 日本に七宝が伝わったのはシルクロードを通り中国からとされ、現存するものでは正倉院の七宝鏡「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」が有名です。その後日本では、京七宝、尾張七宝、加賀七宝そして東京七宝と、各地でその特徴を際立たせ発展して行きます。
 東京七宝の祖と言われているのは、江戸初期に幕府のお抱え七宝師として刀の鍔(つば)、重要文化財指定「花雲形文七七宝鐔」などの名作を残した平田彦四郎(道仁/どうにん)。平田家は代々江戸に居を構えていましたが、明治初期までその技は門外不出とされていたそうです。
 今回、取材で訪れたのは東京七宝の工房「畠山七宝製作所」。東京の下町にある工房で、東京七宝の技を今に伝える、二代目の畠山弘氏にお話をうかがいました。

畠山弘(はたけやま・ひろし)
畠山七宝製作所の二代目。2005年、東京都伝統工芸士。七宝の技の中でも難易度の高い「透胎七宝(とうたいしっぽう)」の技を操り、アクセサリーをはじめ、さまざまな七宝を生み出している。

平田道仁派に弟子入りした、父に師事し技を継ぐ。

 畠山七宝製作所の工房では、お弟子さんを含め3人の従業員が畠山さんとともにアクセサリーなどさまざまな七宝を製作しています。畠山さんが七宝の技を教わったのは、実父である初代から。教師を目指していたというお父様は、戦後の騒乱のなか何か手に職をつけようと考え、門を叩いたのが平田道仁派の流れを汲む庄司信行だったそうです。
 「戦後まもなくという時代にあって、何か手に職をつけなければと職人の道を選んだのでしょう。当時は『色のついたものは七宝』というほど活気のあった時代で4年ほど修行したら独立し、毎日、何百という数の仕事をこなしていたそうです」。
 当時もアクセサリーなどはあったそうですが、学校の校章、会社の社章、冷蔵庫や洗濯機などのメーカーのエンブレムなど、多彩な需要があったようです。現在、畠山七宝製作所では、TOYOTA 2000GTの復刻版エンブレムの仕事を進めていますが、昭和の電化製品にも確かにこうしたエンブレムが付いていた時代がありました。

TOYOTA 2000GTのエンブレムも七宝製。写真左上が当時のもの。写真右上の「胎」は銅製。
1964年の東京五輪のバッチも東京七宝製。写真は、畠山七宝製作所で手がけたそうだ。

メタル七宝とも呼ぶ東京七宝と、京七宝の違いとは。

 東京七宝は、別名「メタル七宝」と呼ばれます。金属製の「胎」は、銅、丹銅(亜鉛が5%含まれる銅合金)、銀、金などがありますが、いずれも意匠に合わせた凹凸が表面に刻まれています。東京七宝では、「胎」の凹みにガラス粉の釉薬を盛り込み、高温で焼成、研磨を繰り返して七宝を製作します。これに対して京七宝は一度に作品の全体に色を入れ、色は2回から3回足して焼成します。
 京七宝と東京七宝を並べてみると、京七宝が京都らしい柔らかさがあるのに対し、東京七宝は質実剛健、凛とした印象があります。
 「東京七宝は、さまざまな製品に対応できるのも特徴です。たとえば、ぐるりと七宝を施す指輪などは、東京七宝でないとできない七宝製品の一つです」。

写真左が京七宝。写真右が畠山七宝製作所の製作した東京七宝のブローチ。同じアクセサリーでも、印象が異なり、それぞれの味わいがある。

まず美しい発色のもと、ガラス粉を均一にして整える。

 畠山七宝製作所では、東京七宝の主な手順である「盛り付け」、「焼成」、「研磨」のすべてを工房内で行なっています。制作の様子を少し、見せていただきました。
 まず見せていただいたのは、空焼き、酸洗い(キリンス)した金属の台「胎」に盛り込む、ガラス粉の粒子をすり鉢で均一にしていく「こなし」。七宝の滑らかな仕上がりには欠かせない作業です。陶芸家やガラス作家の工房でもガラス粉の釉薬は使いますが、七宝には七宝専用の釉薬があるそうです。色によって粒子の粗さが違い、紺は最初から細かい状態、赤は粗い状態なのでこなしにも時間がかかります。右回り、左回りとすりこぎを回しながら、その音の変化で粒子がこなれたかどうかを判断。十分にこなしたら、水を注ぎ上澄みを捨て、小皿に移し替えます。さらに水を張った容器に小皿ごと沈め、水ですすぐ「すいし」で、不純物を取り除き整えます。

色見本帳と照らし合わせ、必要な釉薬がどれか見極める。

粒子が不揃いなガラス粉をすり鉢で「こなし」、均一にしていく。

水を注ぎ上澄みを捨て、また容器ごと水に沈める「すいし」で不純物を取り除く。

胎の凹みに釉薬を盛り込み、高温で焼成する。

 準備が整った釉薬は、竹ヘラ(ホセ)を使って「胎」に載せていきます。この作業が「盛り込み」です。基本的には金属の台の凹みに釉薬を載せていくのですが、「透胎七宝(とうたいしっぽう)」という技では、「胎」に開けた穴に表面張力を利用しながら釉薬を盛り込んでいきます。とても高度な技で、これを手掛ける職人はいまや畠山さんお一人だそうです。
 盛り込み後は、「乾燥」を経て、電気炉で「焼成」。752℃から焼き始め、800℃〜820℃に温度を上げながら、窯の扉の覗き口から中の色の変化を見ながら焼成の具合を判断していきます。

竹ヘラ(ホセ)で釉薬を盛り込む。

電気炉での焼成。窯の色や胎の色を見ながら頃合いを見極める。胎が銅の場合は赤く変化するので分かりやすいが、銀の胎は赤くなりにくく、見極めが難しい。

小さな作品は一度にたくさん焼成するが、指輪のように釉薬を盛り込んだ面が多い場合は、熱が均等に周ることを考え、1個ずつ焼成する。

小さなものは手に持ち、磨き輝きを引き出す。

焼成後、砥石で七宝の表面を磨く「研磨」の工程に移ります。研磨は重要な工程で、約0.1mmの磨きを慎重に行いながら、七宝の透明感のある輝きを引き出して行きます。専用の板に載せて研磨をかけることもありますし、小さなものなど繊細なものは手に持って研磨をかけます。畠山製作所の先代の頃は東京七宝は分業制が主だったそうで、お父様も研磨の工程を担っていたそうで、手で研磨するのは、畠山製作所の得意とするところです。研磨が完了すると、最後に「上げ焼き」という焼成を行い完成します。


砥石で約0.1mmを研磨していく。透胎七宝の場合は、表と裏の両面を研磨する。

仕上げの焼成で、深みのある美しい輝きが生み出される。

 仕上がった七宝には、見ていると引き込まれていく美しさがあります。
 「七宝の魅力は、色の深み。最近では樹脂製のアクサセリーや徽章も普及していますが、光が当たった時の色の深さを味わい楽しんでいただきたいです」。
 平田道仁を祖とし、将軍を魅了した東京七宝の魅力を、畠山七宝製作所が現代の人々に伝えて行きます。


自宅兼工房は、荒川区の「モノづくり見学・体験スポット」にもなっている。
畠山七宝製作所
〒116-0003 東京都荒川区南千住5-43-4 TEL 03-3801-4844
https://www.tokyo-shippou.com/