山中漆器の歴史
木地師が、ろくろ挽き物の
技術を伝えたのがはじまり
安土桃山時代初期に、木地師が石川県山中温泉の上流にある真砂(まさご)地区に移住し、「ろくろ挽き物」の技術を伝えたのが山中漆器の起源とされています。その後、木地師たちは、真砂から山中へ移って温泉客を相手に木地挽きを生業にしました。しかし、徐々に温泉客の土産物から漆器の生産へ移行。それは、江戸時代前期から後期にかけて、全国各地から名工と呼ばれる職人を招へいし、漆器における多彩な加飾技術を導入したためです。これによって、塗りや蒔絵の技術が飛躍的に進歩。発展の基礎が築かれていきました。また、近代においては、現在の山中漆器を代表する加飾挽き(かしょくびき/挽き物木地の表面を加飾する伝統的技法)の名工・筑城良太郎(ついきりょうたろう)らの努力もあり、塗り物の産地として全国に知られるまでになりました。
山中漆器の魅力
デザイン性と機能性を兼ねる
加飾挽きによる美しい溝
山中漆器の特徴はなんといっても、高度な木地挽きろくろ技術によって生みだされる、加飾挽きにあります。これは、挽き物木地の表面を加飾する伝統的技法で、40から50もの種類があると言われていますが、その中でも僅かな間隔で並行な溝を彫りつけてゆく糸目挽きは美しく、品が感じられます。また、この溝はデザインだけでなく、手に持ったときの滑り止めも兼ねているなど、普段使いにも最適。一方、江戸後期に京都や会津から導入した蒔絵。さらに、金沢の加賀蒔絵から学んだ高度な高蒔絵技術。伝統的な花鳥風月の絵柄から、幾何学的な文様まで意匠も多彩で繊細な姿も大きな魅力となっています。
山中漆器ができるまで
作業道具は職人のオリジナル。
木取りも独自の手法で加工
まずは、木質の狂いを少なくするための縦木取り(木目と垂直に切った輪切りの木材を加工する方法)を用いて木地を加工していきます。この縦木取りは、他の産地では見られない山中漆器独自の手法です。つぎに、十分に乾燥させた木地を好みの形状にろくろ挽きし、木地の表面に筋を刻む「筋挽き」に移ります。ちなみに、鉋などの道具はすべて職人の手作りであるため、新しい形の木地を挽く時は、新しい鉋づくりから行います。「筋挽き」後は、木地に漆を摺り込み、拭き取る作業を何度も行います。「下地」の工程では、強度を持たせ、表面をなめらかにするため、漆と地の粉を混ぜた物を塗っては研ぐ“塗り研ぎ”を繰り返します。とても根気の要る工程です。さらに、黒色や朱色などの漆を、小さなごみも付着しないよう、注意しながら塗っていきます。最後に、花鳥風月などの絵柄から幾何学的文様まで優雅な絵柄を施し、完成となります。
主な産地・拠点 | 石川県 |
このワザの職業 | 塗師 木地師(漆器) 蒔絵師 |
ここでワザを発揮 | 盆 茶托(ちゃたく) 重箱 茶道具 |
もっと知りたい | 山中漆器連合協同組合 石川新情報書府 |