八重山ミンサーの歴史
アジアから伝来した技術が発展。
400年以上続くワザを継承
起源は、16世紀初期頃。中東・アフガニスタンから中国を経由して八重山地方に、織物技術が伝播したといわれています。本格的な生産は、原料となる木綿栽培が始まった1611年。儀間真常(ぎましんじょう)が薩摩(鹿児島県)より木綿種を持ち帰り、木綿産業を定着させました。その後、織物産業も発展し、八重山ミンサーは普段着として活用。現在では帯のほか、テーブルクロス、サイフなど、時代のニーズに合わせた八重山ミンサーもつくられています。
八重山ミンサーの魅力
「いつの世までも末永く」の
思いを託した美しさ
八重山ミンサーの特徴は、藍(あい)先染めの畝織(うねおり/畝(高低があること)を表現した織物)。手くくりによる絣(かすり/かすったような模様)が、美しい白と紺の色合いを生みだします。特に、五つの絣柄と4つの絣柄が交互に配された帯は、男性に贈る大切なもの。「いつ(五)の世(四)までも末永く」という愛を込めて、一本一本織り上げられるのです。藍以外に、植物染料を使った南国を感じさせる自然の色合いも存在。バッグ、ネクタイ、ウェアーと、幅広い八重山ミンサーを楽しむことができます。
八重山ミンサーができるまで
長い時間かけた下準備により
素朴で力強い織物をつくる
経(たて)・緯(よこ)糸ともに木綿糸を使います。まず、完成するのに必要な糸の本数を計算し、長さをそろえます(整経)。整経後、絣柄の部分をひもでくくります(絣括り)。そして、藍染めの液につけて染色(藍染め)。ひもでくくった箇所は白く、それ以外が藍色になることで、絣柄をつくりだします。その後、絣とき、カチタミ、仮筬通し(かりおさどおし)、経巻き、綜絖通し(そうこうどおし)と本筬通しを経て製織します。手間暇のかかる下準備が、美しい八重山ミンサーを創出しているのです。
主な産地・拠点 | 沖縄県 |
このワザの職業 | 織物職人 |
ここでワザを発揮 | 男物帯、女帯、ネクタイ、小物 |
もっと知りたい | みんさー工芸館 |