高知 土佐和紙

 土佐和紙の歴史

平安時代以前より伝わる和紙。
明治期には全国一の和紙生産地に

土佐和紙土佐和紙の始まりは定かではありませんが、平安時代に書かれた「延喜式(えんぎしき)」という書物に土佐和紙の名が登場していることから、平安時代以前に起源があると考えられています。土佐和紙が広く世に知られるようになったのは、1601年に新之丞(しんのじょう)という人物から製紙を学んだ養甫尼(ようほに)等が生みだした「土佐七色紙(とさなないろがみ)」が、徳川幕府に献上されてからです。明治維新後、製紙用具の改良、原料の栽培、時代にあった紙の開発、ヨーロッパへの輸出など、吉井源太をはじめとした先駆者達の成し遂げた多くの功績により、明治時代の中頃には土佐は全国一の和紙生産地に。また、虫害に強い紙や、美濃(現在の岐阜県南部)の典具帖紙(てんぐじょうし)を改良したものまで発明しました。こうした「土佐和紙」発展への盤石な土台が形成されたことで、今も尚、この伝統技術は脈々と土佐の地に受け継がれています。

 土佐和紙の魅力

土佐特有のやわらかな色彩。薄さ
と丈夫さを兼ね備えた手漉き紙

土佐和紙黄(き)・浅黄(あさぎ)・桃色・柿色・紫・萌葱(もえぎ)・朱善寺(しゅぜんじ)の土佐特有の7色からなる「土佐七色紙」。そのほか、「かげろうの羽」と形容されるほど薄く、ちぎり絵の材料などに重宝されている「土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)」など、バリエーションの豊富さが「土佐和紙」の魅力です。土佐和紙特有のやわらかな色合いを生かした名刺やハガキなどもあるので、渡された方はきっとその色合いに心和むことでしょう。また、薄さだけではなく、丈夫さ・しなやかさも併せ持っています。

 土佐和紙ができるまで

手間と根気が必要な「ちり取り」
などの工程が繊細な和紙を生む

土佐和紙ができるまでまず、原料を約2~4時間煮続け、純粋な繊維だけを取り出し、一昼夜水洗いをします。その後、漂白し、原料に含まれている塵(ちり)などを手作業で取り除きます。この作業は地味で根気を必要としますが、大変重要な工程です。そして、繊維束になった原料を樫(かし)の棒で叩きほぐしたものを専用の篭(かご)に入れて、水中に沈め掻き混ぜて分散させる「こぶり」という工程を行います。これが、土佐和紙において紙質を決定づける重要な作業です。つぎに、「漉き槽」の中へ原料と、とろろあおいの根から取り出した粘液を加え、一枚一枚紙を漉いていきます。「脱水」・「乾燥」の工程後、規格に応じた寸法に切り揃え、製造元の印を押した包装紙に包めば完成となります。

主な産地・拠点 高知県
このワザの職業 手漉き和紙職人
ここでワザを発揮 書道用紙、手工芸用紙、表具用紙、障子紙、絵画版画用紙、和紙加工品
もっと知りたい 高知県手すき和紙協同組合
いの町紙の博物館