山形県 天童将棋駒

 天童将棋駒の歴史

下級武士の内職から今では
将棋駒生産量95%以上に

天童将棋駒江戸時代後期に、この地方を治めていた織田藩が財政に苦しんでいた際、その状況を打開するために、下級武士に駒作りの内職を奨めました。それが、今や日本の将棋駒生産量の95%以上を占める天童将棋駒の始まりです。古い天童駒は付近の山から切り出した雑木を斧で割った木地に独自の草書体字が漆書きされたものであり、不揃いで庶民向けの低価格品が主でしたが、明治時代中期には東京から楷書体の駒が伝わり、大正時代には彫り駒の手法が取り入れられるようになりました。木地にスタンプで印字する押し駒や、機械で字を彫る低価格の彫り駒が普及したため、伝統的な天童書体の書き駒の職人は少なくなっています。

 天童将棋駒の魅力

天然の木目と美しい草書体
が織り成す、小さな芸術

天童将棋駒孔雀が羽を広げているかのような木目の「孔雀杢(くじゃくもく)」やマーブル状の木目が特徴の「根杢(ねもく)」など、天然素材が生みだす木目と古くから伝承されている美しい文字「草書体」が織りなす小さな芸術とも称される「天童将棋駒」。名人戦や王将戦など、プロの対局にも使用されるため、プロ棋士間でも認知されている逸品でもあります。ちなみにですが、馬の字が逆向きに書かれた天童独自の将棋駒「左馬」は、福を招く商売繁盛の守り駒とされています。そのため、天童市近辺では「左馬」のキーホルダーや置き駒などが、商売を新たに始めた方や家を新築した方への贈り物として重宝されています。

 天童将棋駒ができるまで

乾燥後の原木に文字を彫り
込み、文字の溝に漆を塗る

天童将棋駒ができるまで原木を乾燥させ、寸法の狂いがなくなったら加工を始めます。まず、原木を駒の高さに合わせて輪切りにしたあと、鉈(なた)を使い駒独特の台形に。そして、字の書かれた紙を駒に貼りつけたら、駒を駒彫り台に固定し、印刀(いんとう)を使って一枚一枚文字を彫り込み、文字を彫った溝に漆を塗ります。溝に漆を塗っただけの駒が彫駒(ほりごま)で、溝を完全に埋めた駒が彫埋駒(ほりうめごま)です。漆を塗った後、駒の表面を研ぐ工程が研出しで、砥石を使って丁寧に研ぎ、磨きます。さらに、桐や杉の板材を円筒状に束ねた道具などで、美しい木目を浮かび上がらせていきます。彫駒、彫埋駒はここで完成です。盛上げ駒は、彫埋駒の文字の上にさらに文字を重ね、少しずつ文字を盛り上げていきます。プロの棋士が対局で使うのがこの盛上げ駒で、作るのに熟練した技術力が必要となることから最高級品とされています。

主な産地・拠点 山形県
このワザの職業 木地師 書き師 彫り師 盛上げ師
ここでワザを発揮 将棋駒 置き駒 キーホルダー
もっと知りたい 山形県将棋駒協同組合