長野県 信州紬

 信州紬の歴史

江戸初期、農家の副業として始ま
り、戦後の紬ブームで名声を得る

昔から蚕の国だった信州(長野県)は、江戸時代の初期に各藩がこぞって産業政策として養蚕を奨励。そのため、この頃から生糸や真綿の手紡ぎ糸を利用した紬織物は、農家の副業として織られ始めました。それが「信州紬」の起源といわれています。また、同じくして、信濃は草木染材が豊富に自生していたことから、「草木染め」の技法も普及。寛延(1748)になると、紬を京都に送り出しており、以後宝暦から明和にかけて、毎年のように出荷していたという記録があるそうです。紬が商品化されたのは、大正末期のこと。その後、紬織物の生産は下火になり、昭和の中頃までは、技術保存の名のもとに細々と続けられていたそうですが、それも第二次世界大戦では中断。しかし戦後、県を始めとする自治体の振興策やちょうど巻き起こった紬ブームも加わり、県下全域にわたって生産が活発に。高級な反物として、信州紬の名声も次第に高まっていきました。

 信州紬の魅力

深い光沢と格調の高い色合い。
三代に渡って受け継げる丈夫さも

草木を主とした染材と昔ながらの染め技法で生みだす、縞、格子、絣(かすり)、無地調など、渋く深みのある光沢と民芸的格調の高い染め色が「信州紬」の魅力です。また、手足で動かす織機「手機(てばた)」で織るため、一反一反に織る方の個性や心が繊細に表われていることも手仕事ならでは。まさに一点物の紬と言えます。こうした華やかさや温かみの一方で、軽さと丈夫さにも定評があり、「天蚕(やまこ)」の出す鮮緑色で艶やかな糸で織った織物は、親・子・孫の三代にわたって着られると言い伝えられてきたほどです。ちなみに、天蚕は別名「繊維の女王」とも呼ばれ、たいへん珍重されています。

 信州紬ができるまで

手紡ぎで真綿の風合いを演出。
自生する四季折々の草木で染色

紬の風合いを良くする「繭、絹の精錬」の工程後、真綿の原料となる繭を選択・配合し、光沢と弾力を与えていきます。そして、手紡機(フライヤー式)を使用し、機械には出せない手紡ぎならではの味・個性を出したのち、「染色」の工程に移ります。染織家の腕の見せ所でもある「染色」の工程では、地域に自生する四季折々の草木、果樹、木の実を利用した「草木染め」を施します。自然と調和・対話しながら、染め上げる「草木染め」は、同じ色が二度と出ないとも言われるほど、繊細な作業です。その後、手機を使用し、手投げ杼(ひ)という織り技法で、小気味よく織音を奏でながら一反一反を丁寧に織り、織物の地を引き締め、厚みと腰を生みだしたら完成です。

主な産地・拠点 長野県
このワザの職業 織物職人 染付職人
ここでワザを発揮 着物地、帯、羽織
もっと知りたい 伝統工芸 青山スクエア