薩摩切子の歴史
120年の時を超え甦った
鹿児島県の伝統工芸品
薩摩切子誕生の歴史は、薩摩藩10代藩主・島津斉興が医薬品製造に着手した1846年に遡ります。その際、薬品の強い酸に耐えうるガラス器の必要に迫られた斉興は、江戸から硝子師(びーどろし)・四本亀次郎を招聘し、製造を開始。そして1851年、島津斉彬が藩主となったのを機に、ガラス製造の目的は海外の交易も視野に入れた色被せガラスを作ることに代わり、美術工芸品「薩摩切子」が誕生します。1855年にはガラス窯は「磯」の集成館に移されますが、1858年斉彬の急逝により事業は縮小。さらには1863年の薩英戦争で工場は焼失し、「薩摩切子」の歴史は30年足らずで一旦途絶えます。
それから長い年月を経た1982年、鹿児島の百貨店で開催された展覧会がきっかけとなり、薩摩切子復元の機運が高まります。そして1985年に設立された薩摩ガラス工芸株式会社(株式会社島津興業に統合)により、斉彬ゆかりの地「磯」で復元事業が始まります。いまでは復元にとどまらない新たな企画の薩摩切子の製造も行われ、薩摩切子の新しい歴史が刻まれつつあります。現在、薩摩ガラス工芸のほか数社が、薩摩切子の製造にあたっています。薩摩切子は、1997年に鹿児島県伝統工芸品に指定されています。
薩摩切子の魅力
色のグラデーション、
「ぼかし」が醸す温もり
薩摩切子の大きな特徴は「ぼかし」と呼ばれる、柔らかな色のグラデーションにあります。薩摩切子では、透明なガラスに色ガラスを1〜5mm位と厚く被せます。ここにカッティングをすることで、上に被せた色ガラスの厚さに変化が生まれ、色のグラデーションが生まれます。多くのガラス器がシャープな印象であるのに対して、薩摩切子は、ガラス製品でありながら、見るものに温かみを感じさせます。手に取るとずっしりとした重みがあり、重厚感もあります。重厚でありながら温かみも感じる、それが薩摩切子です。
薩摩切子ができるまで
色被せした生地に
カット、磨きをかけていく
色被せをして成形されたガラス生地は、カット(切子)を施し装飾していきます。まずガラス生地に、デザインに合わせて分割線を引き、「当たり」をつけていきます。この「当たり」を基にダイヤモンドホイールを高速回転させてカットし、表面の色ガラスを削り取る「荒ずり」で文様をつけていきます。「石掛け」では、細かいカットをつけたり、効果的な「ぼかし」を生み出すために線を整えるなどを行います。水でペースト状にした磨き粉をつけながら「磨き」をかけ、輝きを引き出していきます。
(薩摩ガラス工芸のように「生地づくり」も手がける工房もあります)
主な産地・拠点 | 鹿児島県 |
ここでワザを発揮 | 食器、酒器、花器、食卓用品、置物、装身具、文具、日常生活用品 |
もっと知りたい | 島津薩摩切子 |