尾張七宝の歴史
研究熱心な尾張藩士が開発。
パリ万博への出品で海外でも評価
江戸時代後期、尾張(愛知県西部エリア)の藩士・梶常吉(かじつねきち)が、オランダ船よりもたらされた七宝皿や古文書を研究したことが起源だと伝えられています。常吉が破砕分析して調べた結果、尾張七宝の礎となる「泥七宝」を開発。明治時代には、弟子の林庄五郎(しょうごろう)、豪華な七宝をつくりだした孫弟子の塚本貝助(かいすけ)などの努力によって、全国に普及しました。海外でもフランスで開催されたパリ万博をはじめ、日英博覧会に出品されるなど、高い評価を獲得。その精緻なワザは、今日にも受け継がれています。
尾張七宝の魅力
落ちても割れない金属の焼き物。
絢爛で高貴な輝きを写し出す
七宝とは、仏典の「金・銀・瑠璃(るり)・しゃこ・瑪瑙(めのう)・真珠・まいえ」のこと。尾張七宝の美しさが、七宝のように高貴である様から名付けられたそうです。また、尾張七宝は七宝焼とも言われ、焼き物は陶磁器が一般的ですが、粘土の代わりに素地に銅板を用います。その表面に、ガラス質の釉薬(ゆうやく)で彩色して焼き付けます。花鳥風月などの綺麗な図柄が、金属の奥深い輝きと相まって、上品な雰囲気を演出。陶磁器とは違った色彩の深みを堪能できます。
尾張七宝ができるまで
華麗な花鳥風月を緻密なワザで。
職人の魂が融合する分業制
銅板を原料に、木づちや機械で原型をつくります。出来あがった素地に絵柄を描き、図案の上に金属線を植えつけます。次に、珪石やコバルトなどを用いて独自の釉薬を制作。材料の混入は、窯元によって異なります。釉薬を施した後は、焼成、研磨、覆輪つけ(銀で補強)で完成です。素地づくりから覆輪つけまで、多くの工程を要します。ほとんどが専門の職人よる分業でなりたっているのです。
主な産地・拠点 | 愛知県 |
このワザの職業 | 七宝職人 |
ここでワザを発揮 | 花瓶、香炉、額、飾皿、宝石箱等 |
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