新潟県 小千谷縮

 小千谷縮の歴史

魚沼農民の副業だった越後麻布を
明石藩士が改良したのが始まり

魚沼地方では古くから、織物の原料となる良質な野生の苧麻(ちょま)が豊富にありました。そのため、雪深い魚沼農村の女性が、冬の副業として越後麻布と呼ばれる織物を生産していました。それまでは、表面の平らな織物ばかりでしたが、江戸時代初期に明石藩士・掘次郎将俊が、小千谷で盛んに織られていた越後麻布を改良し、サラサラとした涼感を出す「シボ」(織り面に現れる波状あるいは粒状のしわ)のある独特な風合いの麻縮を完成。それが「小千谷縮」の始まりです。完成後わずか10年たらずの間に、魚沼地方一帯に広く普及。小千谷、十日町、塩沢、六日町等の農村地域に広がり、自給的農村手工業から商品としての縮布へと発展しました。元禄期(1688~1703)には、江戸幕府が一般武士の式服(今で言う礼服)と定めたこともあって、需要は激増。縮布の全盛期は天明年間(1781~1788)で、小千谷を含む越後全域では20万反の生産があったとされています。

 小千谷縮の魅力

優雅な光沢と柔らかな肌触り。
高温・多湿な季節でも快適

「小千谷縮」は、苧麻(ちょま)という高温・多湿な季節にも最適な麻の繊維から作られているため、水分をよく吸収し、吸い込んだ水分を良く発散してくれます。そのうえ、小千谷縮独特のシボを作っているため、肌にベタつかず、夏の着物としても機能性にたいへん優れています。また、縦糸と緯糸を一本一本ていねいに織り上げていくので、生地の仕上がりもしなやかで肌ざわりも柔らか、優雅な光沢としっとりした上品さも持ちあわせています。一方で、麻の汚れは、洗濯で簡単に落とすことができることや、耐久性に優れていることも見逃せない大きな特徴です。現代のライフスタイルに適した、浴衣、テーブルウェア、ふとん地など、多彩な商品ラインナップも注目です。

 小千谷縮ができるまで

根気の要る手作業が連続。
昔ながらの技術・技法で制作

伝統的技術・技法・原材料を用いる「小千谷縮」の作業工程は、糸つくり、絣(かすり)つくり、織り、仕上げに大別できます。古代切本や原図案を参考に、絣図案を作成する工程を経て、1反分の糸を作るのに、約3ヶ月もかかる根気のいる「糸つくり」の作業に移ります。その後、絣図案を転写した定規を作成。その定規に沿って墨で印を付け、摺(すり)込みヘラで、染料を糸に摺込ませ、約100℃の蒸気の中で色を定着させます。次に織の準備をし、経糸に、模様付けされた緯糸を、1本1本柄を合わせながら、たんねんに織り上げます。この「織」の工程は、「糸作り」同様緻密な作業のため、大変根気が必要です。そして、湯もみという縮独特の作業で「シボ」出しを行い、乾燥させます。白縮の場合は、湯もみの後、布踏みと雪さらしを一週間毎日繰り返し、まるで雪のように純白となった布地の「シボ」を整え、乾燥させれば完成となります。

主な産地・拠点 新潟県
このワザの職業 織物職人
ここでワザを発揮 着物地、洋服、室内インテリア
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