鳴子漆器の歴史
観光客の土産物として作られ、
18世紀には鳴子の主要産物に
東北有数の湯の里「鳴子」。そんな土地柄もあり、鳴子漆器は江戸時代初期に観光客の土産物として作られるようになりました。その後、岩出山藩三代城主・伊達?親(だてとしちか)が、塗師・村田卯兵衛や蒔絵師・菊田三蔵を京都まで派遣・修行させ、鳴子漆器の振興を図りました。18世紀後半の「安永風土記書上」という文献には、木地挽物と共に塗物が鳴子の産物として記録されていることから、すでにこの時期に漆器が鳴子の主要産物だったことがわかっています。1951年には、漆工芸研究家・沢口悟一によって、古くから伝わる墨流し技法を応用した「流文(りゅうもん)塗」と言われる鳴子独特の変り塗りが考案されるなど、多くの技術革新を遂げながら現代まで受け継がれています。
鳴子漆器の魅力
木目を生かした素朴な美しさ。
日用品としての使いやすさも
お椀・箸・御盆などの日用品を中心につくられる鳴子漆器の魅力は、透明な漆を使って木地の木目を見せる木地呂塗りが生みだす、素朴なぬくもりです。また、「流文塗」と呼ばれる鳴子独特の変わり塗りが生みだす流動模様は、意図的に生みだす模様ではないため、唯一無二の模様であることも魅力的。愛着を持って使うことが出来ることでしょう。こうした見た目の美しさの一方で、機能性も優れています。たとえば、茶筒や抹茶を入れる棗(なつめ)。漆を塗る前の木地の状態では、本体と蓋の間には隙間があるため、お茶葉や抹茶が湿気ってしまいます。それを防ぐため、塗師が漆を何度も重ねて塗り、程よい具合に蓋が閉まるよう調節しているのです。まさに機能美という言葉が相応しい漆器といえます。
鳴子漆器ができるまで
粒子の細かな漆を、何度も
丹念に塗っては乾かし研ぐ
鳴子漆器の制作工程は、木地師と塗師との分業からなります。ここでは、「塗」の工程をご紹介します。まずは、木地の表面を平らにするため、木目の凹み部分を埋めるように砥之粉(風化した岩石を加工し粉末にしたもの)と水、漆を練り合わせた「錆び」を塗り、乾燥。この作業を3回以上繰り返します。つぎに、漆の乗りが良くなるように、凸の部分に付いている錆びを水で研ぎ、一層木地の肌を細かくしていきます。つぎの「中塗」では、美しく仕上げるため、十数枚の和紙で10回以上も漆を漉した、粒子が細かな漆を塗ります。その後、「ろいろ塗」や「流文塗」を施した椀は、塗りムラが出ないように回転させながら乾燥させます。乾燥後、錆研と同じように研ぎます。この中塗・中研の作業を何回丹念に繰り返したかにより、漆器の仕上がりが違ってきます。最後に、中塗より一層粒子の細かな漆を使い上塗をし、ほこりなど丹念に取り除き、乾かさせば完成です。
主な産地・拠点 | 宮城県 |
このワザの職業 | 塗師 木地師(漆器) |
ここでワザを発揮 | 棗(なつめ) 盆 茶托(ちゃたく) 重箱 菓子器 |
もっと知りたい | 伝統工芸 青山スクエア |