福岡県 久留米絣

 久留米絣の歴史

かすれた模様に夢中になった
ひとりの少女から始まった

久留米絣久留米絣は約200年前の江戸時代後期、久留米の米屋の娘・井上伝が創案しました。当時、まだ12~13歳だった伝は、洗濯して古くなった藍染めの着物に、白い斑点ができていることに興味を持ち、着物を解体。偶然できた美しい斑点を人工的につくりたいと試行錯誤した結果、白糸を手括り、藍で染める飛白模様織物を生み出したのです。その後、「東洋のエジソン」と呼ばれた田中久重による織り機の改良など、進化を続けて大量生産化を実現。伝が40歳の頃には、弟子が1000人もいたといいます。伝の没後も、様々な職人が改良を重ね、現在の久留米絣をつくったのです。ひとりの少女が夢中になった織物は、今や全国の人々を魅了しています。

 久留米絣の魅力

素朴で力強いデザイン性。
洗うほどに、美しくなる

久留米絣絣(かすり)とは、かすれたような模様をもつ着物。中でも久留米絣は、藍で染める紺絣の強さ素朴な美しさが魅力の織物です。丹念な手仕事と木綿の風合いが、深みのあるデザイン性を創出。洗えば洗うほど、美しくなるといわれています。原料には主に綿を用いて、一反を約二ヶ月かけて仕上げます。久留米絣の製品は着物のほか、小物、インテリア用品と幅広く、どれも素材感を大切にしたワザがひかります。また、200年の歴史が培った久留米絣は、絵絣や小絣の技法も息づき、多彩な表情を見ることができます。これも、井上伝から始まる様々な職人たちが工夫を積み重ねてきた結果なのです。

 久留米絣ができるまで

30工程を丁寧に。
複雑な作業がつくりだす「素朴」

久留米絣ができるまでデザインの基礎となる絣図案を作り、整経、絣括り、織締め、染色、織り上げと説明は簡単ですが、工程は30にもおよびます。特に、模様を出すための手括りは、微妙な手作業が仕上げを左右する大切な工程。柄模様の区分にわけられた経糸(たていと)をくくり、染料が染込まないようにする熟練のワザがかかせません。また、手織りでは、軽快なリズムで筬(おさ/織機の付属具)をトントンと打ち込む作業が心地よい音を奏でます。この筬の打ち具合などによって、製品の良し悪しを決めるので、かなりの経験を要します。久留米絣のすべての工程に、ワザが込められているのです。

主な産地・拠点 福岡県
このワザの職業 織物職人
ここでワザを発揮 着物地、洋装、インテリア商品
もっと知りたい 八女伝統工芸館
公益財団法人久留米地域地場産業振興センター
アクロス福岡「匠ギャラリー」