広島県 熊野筆

 熊野筆の歴史

江戸の末期に伝わった熊野筆。
起源は農民のハングリー精神

熊野筆江戸時代の末頃に始まったとされる熊野筆。平地の少ない広島藩熊野村は、農業だけでは生活が苦しくなった農民が、農閉期には出稼ぎに向いました。その帰りに奈良や大阪、兵庫県・有馬地方で、筆や墨を仕入れて行商しながらの帰郷。その際に習ってきた技術や知識がきっかけとなり、さらに同時期に広島藩からの生産奨励も手伝って、熊野での筆づくりが本格的に発展していきます。明治に入ると学校制度ができ、書生のために筆の需要が高まり、生産量が大きく増加しました。第二次世界大戦後、習字教育の廃止により書筆の需要は衰えましたが、新たに画筆や化粧筆などを開発。村の人々の培ってきた努力によって、昭和50年に経済産業大臣指定伝統的工芸品として指定を受けるまでに成長。現在では、国内生産量の約8割とトップシェアを占めています。

 熊野筆の魅力

街全体でつくりあげた伝統。
各界から賞賛される確かな品質

熊野筆「書は心を映す」というほど、古くから筆と人々は密接に関わってきました。筆職人は、使う人やその用途によって、素材の吟味と繊細な技術で最良の一本を生み出します。熊野が筆の名産地として名を馳せる裏には、街をあげての筆づくりへの取り組みによる、多品種、大量生産。また、現在でも定期的に伝統工芸士が筆づくりを教える場を設けるなど、熱心に後継者の育成をしています。さらに、全長3.7mある世界一の大筆の展示や筆づくり体験。毎年9月に行われる「筆まつり」などを通して、筆文化の普及にも注力しています。このたゆまぬ努力によって、国内外のメイクアップアーティスト、画家、書道家などからも賞賛される“日本一の筆の産地”を築き上げたのです。ここ最近では、書道がテーマの映画のヒットにより、若い世代からも注目を集めています。

 熊野筆ができるまで

職人ワザで築き上げた日本一。
鍛錬が生み出す、唯一無二の1本

熊野筆ができるまで筆は、大きくわけて毛の部分の「穂首」とそれを支える「軸」から構成されています。毛の原料となる馬、タヌキ、イタチ、鹿、ヤギなどの毛は中国からの輸入が9割、残りはヨーロッパや北アメリカ産のものを使用し、軸の原料となる竹は、岡山や兵庫、アジアなどから仕入れます。実は、名産地である熊野では筆づくりの原料がとれません。そのため、良質な商品をつくりだす高い技術を保ち続けることで、日本を代表する筆の産地という座を守ってきました。その生産性で毛筆、画筆、化粧筆の年間総販売量は約5000万本(平成18年)。画筆と化粧筆は、アメリカやヨーロッパ、アジアなど各国に輸出されています。筆づくりは、およそ13工程があり、「穂づくり」・「整毛」・「仕上げ」職人などに分担をしています。なかでも難しいといわれる「毛組み」は筆の出来ぐあいを決める重要な工程で、経験で鍛え抜かれた目と手先の感覚が必要となります。特に漢字やかなを混ぜて文字を書く日本の毛筆は、さらに繊細な技術を要します。一つの作業を習得するのにも、最低10年以上はかかるといわれる筆づくり。代々受け継がれる職人技が、機械ではマネの出来ない「世界に1本の筆」を生み出すのです。

主な産地・拠点 広島県
このワザの職業 筆づくり職人
ここでワザを発揮 書道用筆、画筆、化粧筆、誕生筆
もっと知りたい 熊野筆事業協同組合