川連漆器の歴史
武具に漆を塗ったのがはじまり。
今では、町の主要産業に
鎌倉期に、源頼朝の家人で稲庭城主の小野寺重道の弟・道矩公が古四王野尻(現在の湯沢市川連字大館)に館を築き、家臣や農民に命じて武具に漆を塗らせたのが川連漆器の始まりとされています。その後の安土桃山時代後期に武士の内職として日用食器としてのお椀づくりがはじまると、秋田藩の武士・佐藤四郎右衛門が奨励。藩の保護政策のもと、膳や重箱など多種多彩な漆器がつくられるように。また、沈金や蒔絵といった加飾技術も磨かれていきました。今日川連漆器は、学校給食の食器として利用されるなど、実用品として庶民の生活に密着し、町の主要産業となっています。
川連漆器の魅力
普段使いに耐えられる堅牢性に、
実用性に重きを置いた思想有り
鎌倉期に、源頼朝の家人で稲庭城主の小野寺重道の弟・道矩公が古四王野尻(現在の湯沢市川連字大館)に館を築き、家臣や農民に命じて武具に漆を塗らせたのが川連漆器の始まりとされています。その後の安土桃山時代後期に武士の内職として日用食器としてのお椀づくりがはじまると、秋田藩の武士・佐藤四郎右衛門が奨励。藩の保護政策のもと、膳や重箱など多種多彩な漆器がつくられるように。また、沈金や蒔絵といった加飾技術も磨かれていきました。今日川連漆器は、学校給食の食器として利用されるなど、実用品として庶民の生活に密着し、町の主要産業となっています。
川連漆器ができるまで
漆を何度も塗っては乾燥・研磨
漆を何度も塗っては乾燥・研磨
完成まで約1年の歳月を要する川連漆器づくりは「木地工程」「下地工程」「塗り工程」の3つの工程に大別できます。まずは、原木を輪切りにし、作りたいものの大きさに合わせて、ブロック状に切り出します。つぎに、外側を荒く挽いて内側をくり抜き、水に漬けておくことでアクを抜きます。これを、1ヶ月間も薫煙乾燥することで木地の狂いを低減。十分乾燥させた後は、再び表面を削り、美しく仕上げていきます。さらに、柿渋と朴炭粉を塗り付け乾燥後、研磨し、生漆を塗る作業を5または6回ほど繰り返すことで、木地への水分の浸透を抑え、堅牢な下地を生みます。最後に、漆を塗ったあとに研がずに乾燥させ、滑らかな表面をつくる「花塗り」を行います。沈金、蒔絵など、加飾を施す際は、この後の作業となります。
主な産地・拠点 | 秋田県 |
このワザの職業 | 塗師 木地師(漆器) ろくろ職人 呂色(蝋色)師 蒔絵師 沈金師 |
ここでワザを発揮 | 椀、鉢、皿、盆、重箱 |
もっと知りたい | 川連漆器伝統工芸館 |