和瓦を葺く若き匠。その熱き思い
屋根に登る前に勝敗を決める
「平場」で瓦を合わせる
日本家屋の象徴「和瓦」を漆喰で一枚一枚固定しながら、屋根を仕上げていく「瓦葺き職人」。年々、この仕事をこなす職人さんは減っているそうです。そんななか、栃木県に若くして匠の技を持つ方がいらっしゃると聞き、取材に駆けつけることにしました。「館林」駅から、車に乗り北上。窓からしばらく田園風景を眺めていると、棟の部分にブルーシートを被った瓦屋根がちらほら。実は、取材に訪れたこの日は未曾有の大災害を引き起こした3月11日の地震からまだ間もない日。後でおうかがいしたところ、瓦が破損した住まいも多く、応急処置のため、ブルーシートを被せているとのことでした。
しばらく瓦屋根を目で追っていると、澄んだ青空のもと、さんさんと降り注ぐ太陽を浴びながら、地上遙か高く屋根の上で仕事に励む前原英明さん(37歳)の姿がありました。
前原さんは、2年に一度、各県を代表する瓦葺き職人が集い、腕前を競い合う「全瓦連技能グランプリ2010」(全日本瓦工事業連盟主催)において、1位に輝いた達人。そんな経歴もあり、無口で実直な方だと勝手に思い込んでいましたが、実際に会ってみると笑顔の絶えないとても気さくなお人柄。しばらく談笑すると、お寺の裏にしつらえた仕事場まで案内してくれました。
「瓦は焼いた時にねじれが生まれるんです。だから、瓦同士の相性を見極めながら、瓦と瓦がピタリと合うように、瓦の裏側を鏨(たがね)で削ってはヤスリで磨いていき、隙間を埋めていくんです。屋根の上に登る前のこうした平場での作業も大切なんですよ」。そう話しながら前原さんが手にしたのは、数種類の鏨とヤスリ。「鏨やヤスリは、カスタマイズしています。売っているものをそのまま使うのも悪くないのですが、瓦を削る際の角度や幅によって使い分けたいので、自分で調節しています。道具づくりも重要な仕事の一つですね」。私たちと会話を交わしながらも、膝を折り手際よく、そして力強く仕事をする前原さん。合わせた瓦はピタリと合い、どこを覗いても隙間なく完璧な出来栄え。機械には決してできない、こうした職人ワザがあってはじめて美しい瓦屋根が生まれることを知り、手づくりの尊さを肌に感じました。
最近では、目にする機会が減った瓦屋根ですが、時代の流れもあり、瓦の生産量も減少傾向にあります。しかし、今もなお全国各地でその地域の気候に適した瓦が焼かれており、今回訪れた栃木においても、残念ながら今は無くなってしまいましたが、「野州(やしゅう)瓦」と呼ばれる瓦が焼かれていました。野州瓦のルーツは、三州(三河国/現在の愛知県)から来た職人にあるそう。この日、前原さんが使用していたのも三州瓦。約1300度の高温でしっかり焼きしめられているため雨をよくはじき、寒さによる瓦のひび割れも起こりにくいという特長があるそうです。その機能性からか、三州瓦は全国の瓦生産量トップを誇ります。「他の産地の瓦と比べてもねじれが少ない」と、前原さんも太鼓判を押していました。
鬼瓦には、いくつもの種類がある
奥の深い瓦の世界
平場の作業がひと段落した前原さんが片手で軽々と持ち上げてきたのは、鬼瓦。というものの、そこには“鬼”のイメージが見受けられません。「これは、特別なんです。お寺用の鬼瓦で、数珠をモチーフにした『数珠掛跨鬼(じゅずかけまたぎおに)』というもの。ほかにも、経典をモチーフにした『経の巻』というものもあるんですよ」。そう話しながら前原さんが指をさしたお寺の本堂の屋根には、4本の経典をかたどった鬼瓦がありました。ちなみに、愛知県の名古屋城といえば思い出す「金の鯱(しゃちほこ)」も鬼瓦の一種だといいますから驚きです。
こうした見た目のおもしろさだけでなく、機能面において優れていることも瓦の特長。
たとえば、和瓦には、雨が多い日本の気候に合わせた工夫が施されています。雨水などの水切れをよくする効果を狙って、凹ませているのです。ちょうど側面から見るとS字形に波をうっているのがわかります。唱歌「こいのぼり」の歌詞に登場する「甍(いらか/瓦葺き屋根)の波」というのは、この美しさを歌ったものでしょう。
「熨斗(のし)瓦」と呼ばれる、鬼瓦とつながる棟部分に使用する瓦もあるそうです。正方形に近い「熨斗瓦」を、釘を打つ金槌よりも先端が細いトンカチでカンカンッと叩くと、綺麗に半分に。この半分に割ったものを棟の部分に何枚も重ねて、美しい屋根のバランスを生みだしていくことを、今回の取材で初めて知りました。この「熨斗瓦」について、前原さんはこんな興味深い話も。「格闘家の方が自らの力量を示すために、瓦割りをしますよね。あれにはカラクリがあるんです。彼らが使うのは、瓦の裏に溝があるため割れやくなっているこの熨斗瓦なんですよ」。
いよいよ屋根の上での作業に。重たい瓦をひょいひょいと身軽な動作で持ち上げ、前原さんは、ハシゴを登って行きます。屋根の上にいらっしゃる時のほうが、さらに活き活きしているように見えたのは気のせいでしょうか。
取材のため、前原さんと一緒に屋根の上へ。青空のもと、周囲を見渡すのは、とても気持ちのよい体験でした。そこで瓦葺きの最終工程を見学。前原さんがおもむろに始めたのは、鬼瓦を乗せるための下地づくりでした。屋根の端の方から、ちょうど三角形になっている軒の先端近くまで葺いていく袖瓦を、腐食しにくい銅線にくわえて漆喰で固定。そして、軒の先端に位置する巴瓦(ともえがわら)を仕上げていき、鬼瓦の取り付けに。これもまた、漆喰で固定するのかと思いきや、取り出したのは瓦の破片。「鬼瓦は、角度を2度ほど前方に倒すと下から見た時に美しいのですが、それを維持するには漆喰だけでは難しいんです。漆喰は、固まるまでに時間が掛かりますからね。だから、瓦の破片で補強しているんです」と前原さん。「現在の技術で、しっかりと手順通りに葺いた瓦は、地震の震度や地盤にもよりますが、揺れの被害を最小限に留めます」とも語ってくれました。
若いうちにどんな仕事をするか
その経験が腕を磨いていく
鬼瓦の固定も終わったところで、椅子に座りながらゆっくりとお話しを聞くことに。前述の通り、前原さんは「全瓦連技能グランプリ2010」のチャンピオン。グランプリとの出会いは、その後の仕事に大きく影響したそうです。「はじめは、いとこの付き添いで見学に出掛けたんです。そこでは驚きの連続でしたね。私と異なるワザで屋根を葺いているんですよ。それに、参加されている職人さんの熱気に圧倒されました。そんな刺激を受けて、私もグランプリに出たいと強く思ったんです。それからは、瓦葺きは仕事ではなく、作品づくりとして考えるようになりましたね」。そんなチャンピオンも高校卒業後は自動車の整備工として2年間働いていたと話します。
「父をはじめとし、おじも瓦葺き職人だったため、小さな頃から仕事場に付いて回っていました。幼稚園児の頃には、屋根の上に座らされていましたね。それでも、高校卒業後は、一度は興味のあった整備工の道をめざしました。けれど、整備工をしながら『いつかは瓦葺き職人の父のあとを継ごう』と心の中で思い続けていたんです」。そんな最中、前原さんが瓦葺き職人を目指す大きなきっかけが訪れたそう。「整備工として勤めて2年。ちょうど、父が独立。さらに優秀な技能者の証である建設マスターに認められたことが、『やっぱり自分も』と、瓦葺き職人を本格的に目指すきっかけなりましたね」。「少し遠回りをした」と、前原さんは話しますが、自動車の整備工も瓦葺きも共通する点は多かったそうです。「どちらも仕事道具の管理やメンテナンスをはじめとし、仕事の段取りと片付けが大切なんです。瓦葺き職人として働く今も、自動車整備工で学んだことはとても活きています」。
これから瓦葺き職人を目指す方には、自らの経験を交えながらこんなアドバイスも。「私は、スタートが遅かった。だから時折、甍技(いらか)塾などで、若い内から学んでいれば良かったと思うこともあります。本気で瓦葺き職人を目指す方には、そうした技術を学べる場所でどんどん経験を積んでいってもらいたいですね」。甍技塾とは、京都の会社が瓦葺き職人を目指す若者の育成のために開いている塾。国宝や重要文化財に指定されている寺院の瓦の葺き替えを経験できるそうです。そう話す前原さん自身も東京の国立博物館、そして「大日様」と足利市民から親しまれている「鑁阿寺(ばんなじ/国重要文化財)」本堂の屋根を葺き替えるなど、数々の貴重な経験を積んできており、現場で学んだことが、その後の糧になっているそうです。
瓦葺き職人を目指す若者たちの未来に期待しながらも、「私もまだまだ修行を積まなければいけない身です」と話す前原さん。その言葉からは、瓦葺き職人のチャンピオンとしての責任と覚悟が感じられました。
瓦葺き職人