ワザ紀行 vol.2
笠間焼 2010/7/5

陶芸家が技を競う、焼物の里。
古くて新しい、笠間を訪ねて

歴史と自然に抱かれた
芸術の香り漂う町

 関東地方の北東部、茨城県の中部に「笠間市」があります。四方を山に囲まれ、日本三大稲荷に数えられる笠間稲荷神社の門前町として、また佐白山のふもとに笠間城の名残を留める城下町として古くから栄えてきました。江戸時代に信楽の陶工により伝えられたという陶芸「笠間焼」はこの町で誕生しました。その後、笠間藩の保護・奨励を受け発展。現在では300を超える窯元が誕生し、ここで感性を磨いています。

笠間市の緑濃い丘陵地「芸術の村」には、陶芸家、画家、彫刻家、染織家など40戸ほどのアトリエが点在。陶芸ほか多方面に才能を発揮した北大路魯山人が住居としていた茅葺き民家「春風萬里荘」は、そんな中に悠然と佇みます。

 器の里として知られる笠間には、伝統工芸と新しい造形美術をテーマとした広大な「笠間芸術の森公園」があります。陶器の祭典・陶炎祭(ひまつり)などが行われるイベント広場をはじめ、「茨城県陶芸美術館」や、ヒノキの森の中で陶造形作家の作品が楽しめる「陶の社」、ろくろや手ひねりの体験工房がある「笠間工芸の丘」、そして、新たな笠間焼の後継者を育成する「茨城県工業技術センター窯業指導所」もここにあります。

左上: 「茨城県陶芸美術館」は、人間国宝に指定されている陶芸作家の作品を一堂に展示。笠間をはじめとする県内陶芸作家の作品も紹介。左下:笠間焼を中心とした地場産業振興と、だれもが参加・体験でき伝統工芸に触れることができる「笠間工芸の丘」。右:「笠間工芸の丘」のセンタープラザでは、笠間焼、陶芸用品、工芸品、笠間や茨城の特産物を展示販売。

 県や市をあげて、伝統的地場産業である「笠間焼」を盛り上げ、陶芸家を育て上げる笠間。いまここでは多くの作家が誕生し、歴史と自然に囲まれた穏やかな環境のもとでそのワザを競っています。

左:「芸術の森公園」では様々なイベントを開催。笠間の「陶炎祭(ひまつり)」ではユニークな陶器にも出会える。右上:笠間焼は器のみに留まらず、こんな素朴で可愛らしいオブジェも作られています。毎年、4/29~5/5に開催される茨城県下最大のイベント陶炎祭に足を運んでみませんか。右下:同じく「芸術の森公園」での「匠のまつり」。笠間焼の展示即売やオークションなども行われる。

笠間焼の歴史はここから始まった。
久野陶園の登り窯

 関東では、最古の歴史を持つ窯場をもつ笠間。笠間焼の始まりは、江戸時代である安永年間(1772?80)にさかのぼります。益子に通じる仏ノ山峠の手前で行き暮れてしまった信楽の陶工、長右衛門(ちょうえもん)。彼が、笠間箱田村の名主であった久野半右衛門(くのはんえもん)の屋敷に立ち寄ったのがきっかけです。当時、凶作のため農業のかたわら新しい産業を興そうと考えていた半右衛門は、これ幸いと 彼から陶芸の技術を学び、窯を開きました。当初は失敗の連続で、釉薬をほどこした陶器を焼くことに成功したのは、右衛門の没後、二代目のときであったといいます。「久野がま」と呼ばれる、この時の登り窯が残っていると聞き「久野陶園」を訪れました。

茨城市指定文化財である久野陶園の登り窯。使われなくなって久しいが、市の助成や有志のボランティアによる保存活動が行われています。近くから、よい陶土が出たのがここに窯を開くきっかけになったそう。

 敷地に入ってまず目に飛び込んでくるのは、築300年の茅葺き屋根。いにしえの時の流れを感じます。母屋の左手には、関東でもっとも古く、国内でも最大級という14房の登り窯があります。「12年前に、試験的に一度火を入れたきり。もうずっと前から眠っています。子どもの頃はよくここでかくれんぼして遊んだんですよ(笑)」と語る十四代目の慶子さん。今こういった登り窯はガス窯や電気窯にとって変わられ、姿を消しつつあります。補修工事が済んだばかりという屋根の下は薄暗く、時間の止まってしまった丸い土くれの周りの空気はひんやりとしていて、数百年前の煤で黒々とした穴を覗き込むと、記憶の奥底に繋がっているような気がしました。

築300年、江戸時代からあるという久野陶園の母屋。藁葺き屋根が往時を偲ばせる佇まい。母屋はギャラリーも兼ねており、花瓶やオブジェのような焼物が飾られていました。

登り窯が残る「笠間焼工場」。焼物の一大産地となった笠間の陶芸はここからはじまりました。内部には小さなギャラリーがあり、ベルトを使った動力ろくろによる陶芸体験もできます。気軽に参加してみてはどうでしょうか

充実の作陶環境が、後継者を育む。
窯業指導所「匠工房・笠間」

 笠間が窯業産地として発展したのは、この町に住む人に焼物好きの血が流れているからかもしれません。
 寛政(かんせい)年間(1789?1801)の藩主、牧野貞喜(まきのさだはる)は、焼物好きで有名。当時はまだ「箱田焼」「宍戸焼」と村の名で呼ばれていた笠間の焼物づくりを奨励し、江戸に近い利点もあって窯元は急速に増加したといいます。そして明治になり、笠間に在住していた陶器商人の田中友三郎が関東一円に販路を開拓。笠間焼は全国にその名を知られ、押しも押されもせぬ一大産地となりました。

設立60周年を迎える「茨城県工業技術センター窯業指導所」。県の地場産業として発展に貢献する笠間焼の後継者を育成しています。現在笠間で活躍する作家の半分以上がここで学んでいたというから驚きです。

 現在、笠間焼の後継者を育てているのは、昭和25年に設立された茨城県の窯業指導所。毎年多くの研修希望者が訪れるここは、陶土や釉薬の開発・改良、重油窯の導入や技術者の養成に注力し、多方面に渡り県内の窯業を支えています。施設の中に案内してもらうと、研修生たちが黙々とろくろを回していました。

左上:ろくろを引く前に、 土の中の空気を抜く「土練り」という作業。使用しているのは「笠間粘土」。左下:黙々とろくろをまわす研修生。土に触ることが初めてという人もいるそう。右:決められたテーマに沿った器をろくろで成形する作業。一日に同じものをいくつも作ります。

 成形基礎コースの1年目はこうやってほとんど「ろくろ成形」のみを行うそう。昔は土練り3年、ろくろ10年といわれましたから、格段の進歩です。その向こうには、テーブルを使ってそばを打つように「土練り」をしている人、急須の茶こしとなる小さな粘土にポンスという型抜きを使って丸い穴を開けている研修生もいます。台湾から来てここで学んでいるという何淑慎(ほ しゅくしん)さんは、現在成形基礎コースの2年生。下書きをした素地に、花の紋様や動物のイラストを施していました。「友人が陶芸をやっていたのをきっかけに笠間焼を知りました。私は焼物に絵柄を描くのが好きです。他にこういうことをやっている人が少ないから、面白いと思って」と話してくれました。

左上:下描きに沿って素地を彫る何淑慎(ほ しゅくしん)さん。笠間焼は昔から独創的な作風も柔軟に受け入れてきました。左下:指導所内にあるガス窯。ほか電気窯、灯油窯など各種窯炉において焼成の技術を身につけることができます。右上:釉薬課においては原料・ゼーゲル計算(調合成分から、焼成後の釉薬の傾向を測る)等、基礎を学べます。右下:指導所には、様々な釉薬原料が用意されています。これらの調合によって無限の表現を生み出すのです。

 伝統にとらわれず、新しいものを積極的に受け入れて発展してきた笠間焼。この活気あふれる環境は、県や市が支援しながら育てられてきました。そして次に笠間で活躍する作家が、この窯業指導所から出る日もそう遠くはないでしょう。
※茨城県工業技術センター窯業指導所は、平成28年4月から「茨城県立笠間陶芸大学校」に変わり、研修も一新されます。
笠間焼 大鉢づくり