佐賀県 唐津焼

 唐津焼の歴史

起源は16世紀末。桃山時代には
茶陶の名品と讃えられるほど発展

唐津焼唐津焼の起源については、様々な説があり、16世紀末には焼かれていたという説が有力とされています。しかし、今に伝わる唐津焼が焼かれるようになったのは、朝鮮陶工らによって李朝磁器の技術などがもたらされた、文禄・慶長の役以降のことです。安土桃山時代には、茶道が盛んになったことから、茶陶(ちゃとう)を作陶すると、唐津焼は茶陶の名品として知られるまでに発展しました。しかし、明治維新によって藩の保護を失った唐津焼は急速に衰退。そんな中、御用窯として伝統をただ一軒守っていた十二代・中里太郎右衛門(人間国宝・中里無庵)が、古い窯から出土した陶片を研究し、伝統的な唐津の技法を復活させ、再興に成功。こうした、無庵の努力や民芸ブームもあり、唐津焼は現在にまで脈々と受け継がれています。

 唐津焼の魅力

素朴さと土味を楽しめる作風
風合いの異なる20種類の呼び名

唐津焼素朴さと、土そのものの味わいを楽しめる作風が大きな魅力の唐津焼。これは、唐津地方の「砂目」と呼ばれる粒子の粗い陶土や、表面に渋い光沢を与える「土灰釉(木灰を基本につくる釉薬)」を使用しているためです。また、高台(器などの底の足部分)周辺に釉薬を掛けない「土見せ」も、生地の土の感触を直に楽しめる要因となっています。一方で、唐津焼は、釉薬の違いや、その掛け方の違い、そして装飾の違いから、様々な名前で呼ばれていることも特徴的です。たとえば、木や草、花などの文様が生き生きと描かれた「絵唐津」、白と黒のコントラストが美しい「朝鮮唐津」、青や黒の斑(まだら)がアクセントの「斑唐津」など、約20種類があり、選ぶ楽しさもあります。

 唐津焼ができるまで

足で土の軟らかさを判断
絵付けは、下絵はせず一気に

唐津焼ができるまでまず、採土した粘土を山状に積み上げ、鎌で剥ぐように削り取っていき、適当な水分を含ませたのち、足で踏んで円盤状にします。この「土踏み」の工程は、足に伝わる粘土の軟らかさを感じ取る、経験による勘が頼りとなります。全体が同じ軟らかさになった土を、適当な量の玉に分けていき、陶土の中の粒子の均一をはかり空気を外へ出すよう、よく練ります。その後、仕上がりのイメージに合わせて、ろくろや、内側に丸太を輪切りにしたコテと外側に叩き板(木の板)を使って、挟むように叩いてならす「叩き技法」などで成形し、自然乾燥させます。さらに、成形した生素地に、彫りや櫛目、刷毛目(はけめ)などの伝統技法で、目的に合った加飾をほどこします。最後に毛筆や刷毛、指、竹などで下絵をせずに一気に絵付けし、釉薬を掛け、焼成すれば完成となります。

主な産地・拠点
このワザの職業 陶芸家
ここでワザを発揮 茶器 花器 徳利
もっと知りたい 佐賀県 唐津焼
佐賀県立九州陶磁文化館