鎌倉彫の歴史
鎌倉時代に宋から輸入された
精巧な彫漆工芸品がルーツ
鎌倉時代、宋(中国)から精巧な文様が彫刻された堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)と称される盆や大香合などの彫漆工芸品が大量に輸入されました。その影響を強く受けた仏師や宮大工たちが、木に同じような彫刻をして漆を何十回も塗り重ねた、木彫彩漆を作ったのが「鎌倉彫」の始まりと伝えられています。最初は、寺院で香を入れる際に使う、大きな香合等が主に作られていましたが、室町時代末頃になると、茶の湯の隆盛と供に茶道具としての需要が拡大。しかしながら、江戸末期には、「わび・さび」に偏重したものが広まり、「鎌倉彫」の魅力である力強さは失われることに。明治には、神仏分離令の公布や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の運動により、仏師達は失職。多くを数えた仏師は、たった2軒に。この転機に、本来の仏像制作から生活の中で使われる工芸品にシフトチェンジしました。そののち、明治22年の横須賀線開通と供に、鎌倉は別荘地として栄えた為、日用品やお土産の茶托、銘々皿、盆、菓子皿などを作るようになりました。
鎌倉彫の魅力
力強い彫り文様と艶やかな光沢。
堅牢で、使うほどに手に馴染む
力強く重厚かつ立体的で繊細な彫り文様、そして幾度も塗り重ねられた漆の潤いのある光沢が生みだす味わいが特徴の「鎌倉彫」。彫り上げる文様には、牡丹、菊、唐草、倶利(ぐり)と日本の古典的な文様から、現代感覚のデザインによるものまであり、たいへん多彩です。また、大量生産される製品とは違い、昔からほとんど変わらない技術と材料で作られている作品一つ一つには、先人から脈々と受け継がれてきた職人の「技」と、手仕事ならではの温もりを感じられます。まさに、一点物ともいえるこうした品は、末永く愛用したいものですが、その点「鎌倉彫」は堅牢なため、親子何代にも渡って受け継ぐこともできます。日々、使い続けることで手に馴染んでいくことでしょう。
鎌倉彫ができるまで
表現によって刀を使い分ける
「際取り」は職人の腕の見せ所
まず、原料となる木に制作する品の寸法に応じて墨入れし、帯のこで切り取っていきます。その後、ろくろで荒挽きして乾燥させ、再び仕上げ挽きをして、美しい曲線に形を整えます。そして、木地を軽く湿らせ、薄い和紙を押しつけて文様の下絵を転写し、小刀で切り込みを入れる「たち込み」の工程で、図の遠近感やボリュームなどを決めていきます。「たち込み」で入れた線の外側を、小刀や平刀などの刀を使い分けて切り落とし、文様を浮き上がらせる「際取(きわど)り」を行います。さらに、「刀痕(とうこん)」・「木地固め」・「蒔き下地」などの工程を経て、彫刻をより強調し、色調を落ち着かせる、現代の鎌倉彫の代表的な塗り技法「乾口(ひくち)とり」を行います。最後に、生漆(きうるし)を薄く前面に塗りつけ、綿布でよく拭き取り、すす玉(泥が主成分の土)で艶を出せば、完成です。
主な産地・拠点 | 神奈川県 |
このワザの職業 | 塗師 |
ここでワザを発揮 | 盆、皿、茶托(ちゃたく)、鉢、箱 |
もっと知りたい | 伝統鎌倉彫事業協同組合 |