秋田県 樺細工

 樺細工の歴史

藤村彦六が創始者。
城主・佐竹北家の保護のもと普及

樺細工世界でも類を見ない樹皮工芸と言われる樺細工の発祥は、18世紀末。秋田県北部の阿仁(あに)地方の者から技法を伝授された「藤村彦六」が創始者とされています。彼は、当時角館を統治していた佐竹北家の家臣でもありました。佐竹北家の城主に保護を受けた樺細工は、下級武士の副業・内職として広く普及。その後の明治期には、町人衆の間にも技術が広がり、角館(かくのだて)町の地場産業として定着。明治期は、当初つくられていた印籠(いんろう)などの小物ではなく、たばこの普及と足並みを揃える形で「胴乱(どうらん/たばこ・薬入れ)」の需要が増加しました。その後は、優れた工人達によって今日にも見られる茶筒、硯箱などの小箱が作られるようになり、問屋制度などの流通も整備・確立されていきました。

 樺細工の魅力

高い芸術性と機能性。
天然素材ならではの個性は愛着に

樺細工桜の樹皮の素朴な手触りや温もり、そして自然の美しい光沢だけではなく、防湿・防乾にも優れており、高い芸術性と機能性を誇るのが「樺細工」の魅力です。また、使用する樹皮には、あめ色でまろやかな光沢をした「あめ皮」や、光のあたり方によって銀色に見える「銀系皮」など、10種類ほどあり、そのどれもが異なる味わいを放ちます。天然の素材である樹皮は、同じ表情のものがないだけに、自然と愛着が湧きます。一方で、茶筒や文箱、硯箱、宝石箱の他、ブローチやペンダントなど生活に根ざした商品が豊富なことも大きな特徴です。

 樺細工ができるまで

最終工程の磨きでは、力士も使う
鬢づけ油で光沢に深みを与える

樺細工ができるまで樺細工の製法は、三つに大別できます。木型にあわせて芯をつくり、その上に樺(樹皮)を張り筒状のものをつくる「型もの」、樺を何枚も重ね合わせて加工する「たたみもの」、下地に木地を使用する「木地もの」がそうです。ここでは、「型もの」の工程を紹介します。まずは、山桜の樹皮を剥ぎ取ります。これを作品の大きさに合わせて裁断し、水で湿らせます。熱した鏝(こて)をあて、樺をまっすぐに伸ばし、丸くついた樺の癖を取っていきます。つぎに、樺の表面を幅広の包丁で削り、光沢を出し、細工しやすいように薄く削った樺に膠(にかわ/接着剤)を塗って乾かします。そして、木型に樺を巻きつけ、鏝をあて巻きぐせをつけます。癖がついたら、一度木型から樺を外し、磨きます。芯となる木材に、樺を張りつけます。膠を塗って樺を貼り、鏝を使って皺が残らないように丁寧に接着したのち、筒の天と底の加工。その後、樺表面の荒さを取ります。何段階かに分けて丁寧に磨いたのち、お相撲さんが髪を結う時に使う、鬢(びん)つけ油を少量塗った布巾で磨き、光沢に一層の深みを出したら完成となります。

主な産地・拠点 秋田県
このワザの職業 樺細工職人
ここでワザを発揮 茶筒 胴乱 硯箱 ペンダント
もっと知りたい 秋田県物産振興会
角館工芸協同組合