甲州印伝の歴史
江戸時代末期に庶民に広まり、
明治には山梨県の特産品に
江戸時代、上原勇七(うえはらゆうしち)という人物が、鹿革に漆を付ける独自の技法を編み出したのが、「甲州印伝」の始まりとされています。江戸時代末期、この独自の技法により作られた巾着や莨(タバコ)入れ、早道(はやみち/銭入れ)などは人々の間に広まり、現在の山梨県甲府市を中心にして産地が形成されたそうです。明治期には、信玄袋(しんげんぶくろ/布製平底の手提げ袋)や巾着袋等が内国勧業博覧会(生産を増やし、産業を盛んにするための政策の一環として開催された博覧会)において国からの表彰を受けるなど、山梨の特産品としての地位を確立。その後、大正期にはハンドバック等も作られるようになり、デザインや形状は多様化していきました。ちなみに、「印伝」の名の由来は、印度伝来を略したものとも言われており、華麗な装飾が施されたインドの革製品が「印伝」のルーツだそうです。
甲州印伝の魅力
江戸小紋ゆずりの伝統の柄。
使い込むほどに手に馴染む
やわらかく丈夫で軽い鹿革を黒、紺、えんじ、紫などの色調に染め上げ、漆で模様付けした「甲州印伝」の袋物は、使い込むほど手に馴染むので、日に日に愛着が増すことでしょう。また、鹿革に漆が模様付けされているため、表面には凸凹があり、ポケットに入れた財布等もすべり落ちにくいという特性もあります。財布以外にも現在では、印鑑入れやハンドバッグなど、身近で使用できる多種多様な品々が作られています。一方で、漆に描かれる艶やかで美しく、多彩な柄も目を引きます。たとえば、小桜、菖蒲、青海波(せいがいは)、とんぼなど、江戸小紋(柄が非常に小さいにもかかわらず、遠目にはっきりと見える染物)にもみられる伝統の柄があり、これらはどれも日本人の美意識が創造したわが国ならではの美しさです。
甲州印伝ができるまで
漆の刷り込みや、凸凹のある革を
縫製する工程は熟練の技が不可欠
白い鹿革の隅々までを黒、紺、茶、えんじ、紫色など、仕上がりに応じて染め、一枚革を型紙に合わせて裁断。つぎに、鹿革の上に柄の型紙をおき、その上から主に朱、黒、白の単色の漆をのせ、ヘラで均等かつ少しのムラも無く刷(す)り込み、型紙から革をはがすと模様の完成。これを数日間かけて、ムロ(漆を乾かす部屋)で乾燥させると、漆が盛り上がり、艶感のある漆柄(うるしがら)が仕上がります。その後、型紙に合わせて正確に裁断し、ひとつひとつ丹念に縫製していき、ファスナーなどをつけて仕上げます。この「縫製」の工程は、革の表面には前工程で仕上げた漆柄の凸凹があるため、熟練の技が必要とされます。
主な産地・拠点 | 山梨県 |
このワザの職業 | 印伝職人 |
ここでワザを発揮 | 印鑑入れ、財布、袋物、ハンドバック |
もっと知りたい | 山梨県郷土伝統工芸品 やまなし伝統工芸館 |