広島仏壇の歴史
浄土真宗が育んだ広島仏壇
海路に恵まれ発展を遂げる
古くから浄土真宗の盛んな土地柄の広島では、門徒を対象とした仏壇製造も盛んでした。広島仏壇の技術および技法が確立されたのは江戸時代。紀州から移り住んだ飾り金具細工師や桧物細工師(ひものさいくし)、塗師(ぬし)等の技術をもととし、その後、敦高(とんこう)という僧が京都、大阪に出向いて、仏壇・仏具の高度な製造技術を学んで帰ったことでその基礎が築かれました。明治に入ると広島仏壇は県外にも多く出荷されるようになりました。大きさのかさばる仏壇を運搬する上において、瀬戸内海海運という交通路に恵まれたことがその発展に大きく寄与したといわれています。そして広島仏壇の生産は大正末期には全国一となりました。
広島仏壇の魅力
極楽浄土を表現した、
金仏壇ならではの壮麗な美
黄金の大地、輝かしい楼閣、樹木や川など全てが金銀宝石でつくられた夢のような世界。広島仏壇の大部分を占める浄土真宗本願寺派の仏壇には、そんな「極楽浄土」の世界が宮殿(くうでん)に凝縮されています。金箔を使った壮麗な造形の数々、それこそが広島仏壇の大きな特徴です。広島仏壇にもいつくか種類がありますが、金仏壇(きんぶつだん)が主流。金箔押しの形式が大阪型と類似しているのは、成り立ちにおいて、京都、大阪の製造技術が導入されていることに関係があるともいわれています。また当地ならではの特徴としては下地材料として、広島名産である牡蠣(かき)の殻を細かく砕いたものを使用した胡粉下地(ごふんしたじ)を使っていることがあげられます。
広島仏壇ができるまで
各職による分業制でつくる。
昔ながらの匠による手仕事
製作工程は、分業です。木地部門、宮殿部門、彫刻部門、金具部門、蒔絵部門、漆塗部門の各職に分かれています。多くの用具が機械化されている中、広島仏壇は現在も昔ながらの匠の手仕事によって支えられています。木地部門は、木地師の出番。原材料に、スギ、マツ、ヒノキなどの材料を用い、ほぞ組みによる組立式で作ります。宮殿部門は宮殿師の仕事。たくさんの小さい木の細工を組んでニカワでつなぎます。次は彫り師による彫刻。図案に沿って木を切り抜き、丁寧に彫ります。漆塗部門は、下地から上塗り、そして金箔押しまでを担当します。かざり金具師によって装飾金具が施され、各部門で作られたものを仕立てて一本の仏壇が完成です。
主な産地・拠点 | 広島県 |
このワザの職業 | 仏像彫刻家 箔押師 仏具錺金具師 宮殿師 塗師 木地師(仏壇・仏具) |
ここでワザを発揮 | 金仏壇 |
もっと知りたい | 伝統的工芸品 広島仏壇 |