彦根仏壇の歴史
はじまりは徳川時代中期。
武具の製造者が仏壇製造に転向
国宝彦根城を有し、江戸時代の城下町独特の風情や町並、文化が今もただよう「彦根市」。この地で生まれ育まれ、今も受け継がれる彦根仏壇の起源は、遠く徳川時代中期のこと。それまで武器や武具の製作に携わってきた塗師、指物師、錺金具師などが、平和産業(戦に関与しない産業)としての仏壇製造に転向したのが始まりだとされています。その後、徳川時代のキリシタン宗門の禁止政策の強行で、異教徒でない証拠として仏壇を設けることが一般化してきたこと。そして、彦根藩主の保護のもと、問屋制家内工業の形態とこれにともなう分業組織が完成したことで、発展への基盤が築かれ、彦根の地場産業の一つとして大きく飛躍しました。
彦根仏壇の魅力
豪華で厳かな佇まい。
日常の使いやすさに工夫有り
彦根仏壇は豪華で厳(おごそ)かな雰囲気が魅力の大型仏壇です。たとえ小型の仏壇であっても、決して窮屈な感じを与えず、大変ゆったりとしています。さらに、必要な道具や付属品の収納を考え、文書箱や台が一体となっているなど、さまざまな工夫が施されており、日常の使用に便利なのも大きな魅力となっています。また、けやきの荒い木目を生かした木目出し塗りなど、上等な素材をふんだんに使った彦根仏壇は大型金箔仏壇の中でも高級品の代名詞として例えられほど。職人がひとつひとつ手づくりで仕上げるため、職人の個性も感じることもできます。
彦根仏壇ができるまで
木地師、宮殿師、錺金具師など
七人の職人の技が集まり、完成
大作となれば一つの仏壇が出来上がるまで、二年もの月日が掛かると言われる彦根仏壇は、七人の職人によって生まれます。まず、「木地師」が、釘などを一切使わず、杉、松、檜など、厳選した木材で仏壇の本体を組み、「宮殿師(くうでんし)」は姫子松や紅松など柔らかい木材を使い仏壇の屋根の部分にあたる宮殿を組立てます。「彫刻師」は、仏壇の装飾部に花・仏・鳥・家紋などを100種の彫刻刀を使い分け、丹念に彫り、「塗師」は木地、宮殿、彫刻のすべての木地に下地・中塗・上塗の順で漆を塗っては乾燥・研磨し、耐久性を高め、漆の光沢を生みます。一方「蒔絵師」は、漆などで下絵を描き、その上に金粉、銀粉、貝などを蒔き、研磨し、仕上げの線を加筆して仕上げ、「金箔押師(きんぱくおしし)」は、仏壇一つに千枚以上の金箔を竹製ピンセットで一枚ずつ貼り付けていきます。「錺金具師(かざりかなぐし)」は、鏨(たがね/金属を切断・削る際に用いる鋼鉄製の工具)を使って銅や真鍮版を装飾金具に仕上げます。こうして出来が上がった各部位を、仏壇問屋が組み立て完成となります。
主な産地・拠点 | 滋賀県 |
このワザの職業 | 仏像彫刻家 箔押師 仏具錺金具師 宮殿師 塗師 木地師(仏壇・仏具) 蒔絵師 |
ここでワザを発揮 | 仏壇 |
もっと知りたい | 彦根仏壇事業協同組合 |