肥後象がんの歴史
刀のつばに施された美しい文様。
廃刀令以降は、日用の装飾品に
象がんとは、刀のつばなどに金銀を埋め込んで施す文様のこと。今から約400年前の寛永9年、当時の肥後国主である細川忠利侯に仕えた林又七が鉄砲や刀のつばに象がんを施したのが始まりとされます。名将と呼ばれた肥後国主は、茶事や和歌などの風流を愛し、深い造詣を有していたため、肥後は江戸や京都から遠く離れていながら、高い文化水準を持っていました。江戸時代には林家のほか多くの名工と呼ばれる平田家・西垣家・志水家・神吉家などにより、肥後つばの名品が数多く残されています。その象がんは現代も愛好家から賞賛されています。明治に入り、維新政府により廃刀令が発布。以降は、象がんは装身具や装飾品に転じ、日常生活にとけ込む様々な製品が作られています。
肥後象がんの魅力
武家文化の美学を凝縮した品格。
デザインはオーダーメイド
ルーツが刀のつばに施す加飾という存在であるために、肥後象がんには武家文化の美学が凝縮されています。ステータスを現すシンボルともいわれ、その特徴は重厚さと渋さ。黒字に金銀が浮き上がるように映える品格が美しいとされています。時代が変わり、象がんが日用の装身具に変っても、底に流れる美意識は変わりません。肥後象がんには、鉄の生地に手工具で切目を入れ、金銀を打 ち込んで仕上げる布目象がんの他、彫り込み象がん、据もの、切り嵌め等の技法があります。型などはなくオーダーメイドが基本。デザインは作り手のセンスによって決まります。下絵に添って行う細かな布目切りは、最も熟練の技と集中力が要求されます。メンテナンスは定期的にミシン油などを付けた布で表面を拭くとよいそうです。
肥後象がんができるまで
手間のかかる作業を繰り返す。
一人の制作者による象がん作り
象がんの仕事は、一から十までひとりでやる孤独な仕事。だから作者の感性や技術が如実に映し出されます。ここでは象がんブローチを例にして説明します。まず鉄の板を削り生地を作ると、ヤスリで表面を綺麗に磨きます。次に、松ヤニと砥粉(とのこ/粘土を焼いて粉にしたもの)などを混ぜた「ヤニ台」に生地をのせて固定。生地の表面に下絵の跡を付けます。布目切り、という作業では生地の表面に縦、右斜め、左斜め、横の四方向に微細な布目状の切目を入れます。次に文様のパーツを作る型抜き。象がんする金属の板(金・銀・青金)を用い、型タガネで打ち抜いたパーツを火にかけて地金に打ち込みます。金銀片の表面を滑らかにし、細部の毛彫りを施しさらに丹念に磨きます。そして重厚さを出す錆びだし加工を施し、錆止め、焼き付け、組み立てを経て完成です。
主な産地・拠点 | 熊本県 |
このワザの職業 | 象嵌師 |
ここでワザを発揮 | ペンダント ブローチ イヤリング 携帯ストラップ ボールペン |
もっと知りたい | 肥後象がん|熊本県伝統工芸館 |