富山県 越中和紙

 越中和紙の歴史

富山の売薬と共に発展。
特徴が異なる三地域の和紙

越中和紙越中和紙は、奈良時代の「正倉院文書」といった古文書に登場するほどの古い起源を持っています。平安時代の「延喜式(えんぎしき)」の中にも、納税品として和紙が記されるなど、重宝されていました。越中和紙という名は、八尾(やつお)和紙、五箇山(ごかやま)和紙、蛭谷(びるたん)和紙の三つの地域を総称したもの。それぞれが独自の歴史を育んでおり、特に八尾和紙は江戸時代に薬袋紙の産地として活躍しました。置き薬という販売手法で全国に販路を築いた「富山の売薬」と共に、和紙産業が栄えたのです。五箇山和紙は、加賀藩で使われる紙や神社の障子紙として発展しました。蛭谷和紙は、書画用紙として活用されています。三地域のどの和紙も、生活用品として人々の暮らしを支えています。

 越中和紙の魅力

高い染色技術によるデザイン性で
100種以上もの和紙を生産

越中和紙越中和紙の主な原料は、楮(こうぞ/クワ科の落葉低木)、雁皮(がんぴ/ジンチョウゲ科の落葉低木)、三椏(みつまた/ジンチョウゲ科の落葉低木)です。楮紙は、強靱な繊維で強度に優れており、障子や書道などに使用されています。雁皮紙は、繊細な繊維で滑らかな紙肌を持ち、日本画や手紙に適しています。そして、三椏紙は薄くて高い吸水性を備え、紙幣などに使われています。これら三つの原料を使い分けながら和紙を作るため、伝統的な障子紙、半紙から、近代的な用紙まで100種類以上の製品を可能にしました。また八尾和紙では、植物染料や顔料などで染めた染紙が作られており、色の美しさを合わせ持つ和紙を誕生させています。良質の紙をもとに、新しいデザインに挑戦する若手の職人が多いのも特徴です。

 越中和紙ができるまで

自然素材を相手に見極めて
1枚ずつ漉(す)き、乾燥、選別

越中和紙ができるまで楮紙の場合、原料である楮の外側の黒皮をはぐこと(楮たくり)からスタートします。乾燥した内側の白い皮を水につけ柔らかくします。五箇山では雪の多さを利用して、雪にさらします。その後、紙に必要な繊維素を取り出すために苛性ソーダもしくは、ソーダ灰の溶液で2時間煮ます。そして、水を何度も替えてアクを抜きます。障子紙類は、さらし粉などで漂白。次に、水中に浸して傷やゴミといった小さなゴミを手作業で取り除きます。さらに、打開機などで繊維をほぐし粘りがでた後、漉槽(ふね)と呼ばれる長方形の入れ物に水をはり、紙料とトロロアオイの根で作ったネレ(粘液)を入れてすくい上げてゆすります。1枚ずつ紙を積み上げるため、1日に200~300枚程度の生産量です。漉き上げた紙床から1日かけて水分を絞り、重ねた紙を1枚ずつはがして乾燥します。乾燥後、紙の品質を1枚ずつ選別して出荷です。模様紙の場合は型染めをします。

主な産地・拠点 富山県
このワザの職業 手漉き和紙職人
ここでワザを発揮 染紙、書画・版画用紙
もっと知りたい 高岡地域地場産業センター
富山県和紙協同組合(桂樹舎内)