会津本郷焼の歴史
瓦工に屋根瓦を焼かせたのが起源
藩が陶工を招き御用窯として発展
戦国時代に、当時の領主・蒲生氏郷(がもううじさと)が播磨国(兵庫)から瓦工を招き、会津若松の若松城の屋根瓦を焼いたことが、会津本郷焼の起源とされています。1645年には、 会津松平藩祖・保科正之が尾張国瀬戸生まれの陶工を召し抱えて、本格的な陶器の製造を開始。その後、藩の保護を受け、会津藩の御用窯として栄えました。庶民の暮らしに根づいた日用品の製造が始まったのもこの頃です。1800年には、佐藤伊兵衛(さとういべえ)や、その弟子である手代幸右衛門によって、会津本郷焼の大きな特徴の一つである白磁の製法が完成。これにより、幕末には飛躍的に発展しました。現代においても、東北最古の白磁の産地として、雪深い福島をイメージさせるその製法は脈々と受け継がれています。
会津本郷焼の魅力
豪快な陶器、緻密で繊細な磁器
寒冷地域に適した機能性
まるで艶やかなべっこう飴のような、深みや味わいのある色合いを生む、飴釉(あめゆう)などの釉薬を掛けた素朴で温かみある陶器。そして、緻密な山水画などを描いた白色磁器の見とれてしまうほどの優雅な佇まい。会津本郷焼の系統は大きく分けて2つあり、異なる表情を楽しめるのが魅力です。また、装飾法には、上絵付けや赤絵、染付けなど多彩で、窯ごとに個性があらわれるのも魅力の一つ。重厚で安定感のある作りは、あたたかい物は冷めにくく、手に熱さが伝わらないなど、北国という風土が育んだ機能性といえます。
会津本郷焼ができるまで
低温でじっくり焼くことで、
模様や色に変化を与える
原料は、地元から産出される磁器用の陶石と陶器用の陶土です。それを1年以上風や雨にさらしたのち、砕き、水を加えて練り上げます。これを、主にろくろで回転させながら形を整えていきます。そのほか、板状に切った粘土を使う「たたら」や、手だけで形を作り出す「手びねり」、石膏型を使って形を作るなどの成形方法もあります。成形後は、自然乾燥または加熱乾燥し、水分を蒸発させます。この段階で、直接絵付けするものと素焼きを行うものとに分かれます。つぎに、焼成に移ります。この工程では、低温でじっくりと焼くことで、釉薬の中の成分を結晶化させ、模様を浮かび上がらせる、または変色させ、独特の味わいを生んでいきます。焼成後、冷まし、窯出ししたら検品を経て完成となります。
主な産地・拠点 | 福島県 |
このワザの職業 | 陶芸家 ろくろ職人 |
ここでワザを発揮 | 食卓用品 茶器 花器 酒器 |
もっと知りたい | 会津本郷焼事業協同組合 |