求道者たち vol.2
輪島塗2 2010/5/1

職人のこだわりが紡(つむ)ぎ出す
「輪島塗」を彩る加飾の世界。

輪島塗の美しさを
“手”で呼び起こす「呂色師」。

 日本の代表的な漆芸のひとつである「輪島塗」。編集部特集の[求道者たちvol.1]でもご紹介したとおり、「地の粉」の混ぜられた漆を何層にも塗り重ねることにより実現した堅牢さが大きな特徴です。そしてもう一つの大きな特徴が、美しい「加飾」です。「加飾」には「蒔絵」「沈金」「呂色」などがあります。最初にご紹介するのは、呂色師の大橋清さん。「呂色」というと「蒔絵」や「沈金」に比べて耳慣れないかもしれません。

 「呂色は、上塗りされたものを更になめらかに磨き上げ、鏡のような透明なツヤを出していくワザです。輪島塗は加飾が多彩なのが大きな特徴ですが、他の加飾部門、特に蒔絵をする場合には、呂色をした後に蒔絵を施し、さらに磨く、ということをすることにより、金や銀の輝きを際だたせますので、呂色は重要。実は、縁の下の力持ちのようなワザでもあるのです」と語る大橋さん。もちろん、最終的な呂色の艶上げも美しい仕上げです。その呂色は、研いでは磨き、研いでは磨き、の繰り返し。「駿河炭という研ぎ用の良質な炭を使い、まず表面を平滑にします。ここでキズが付きますので、もう一度生漆を塗り、今度はキズをとる磨きをします。この工程を何度か繰り返し、仕上げには専用の呂色炭を使い、さらに油砥粉やコンパウンドを使って『胴擦り』と呼ばれる磨きをします。最終的には自分自身の手で磨くんです。人間の手の感覚、というのはとても精緻にできています。たとえば液晶テレビの枠などは、光沢を出すために機械によって磨かれていますが、そうした工業用研磨に比べると、呂色の方が全くレベルが上だとおもいます」。

 もともと、上塗りの段階でもなめらかなのですが、それをさらに何度も何度も研いでは磨く。呂色職人は目には見えない“ミクロン”の世界で勝負しているんですね。「機械でつくるのとは違い、手仕事は均一ではなく、良いことも悪いことも後に残ります。そこが大変でもあり、おもしろくもあるところです」

左・右上:呂色は最終的に職人の手で磨き上げます。以前は油砥石や灯油などで磨いていましたが、いまは技術も進化してコンパウンドなども使用するようになったそうです。右下:大橋さんの工房。大きなものの呂色仕上げもあるため、広さが確保されています。
左・右上:呂色による仕上げは鏡面のよう。実際に顔がこのように映ります。右下:呂色では「艶上げ」の他に、「梨地塗」や「石目乾漆塗」などの変わり塗も手がけます。美しい模様のはいったもの、質感のある表面仕上げなどが、輪島塗の個性を広げています。
左:呂色の研ぎには静岡産の良質な駿河炭を使います。これを製品に合わせて使いやすい大きさにし、隅々まで磨いていきます。荒研ぎから段階によって炭の目の粗さを変え、仕上げ研ぎには「呂色炭」と呼ばれるもっとも目の細かいものを使います。右上:大橋さんの手。これが究極の『道具』です。右下:実は26歳の時、サラリーマンから呂色の道に入った大橋さん。輪島漆芸技術研修所の講師の経験も。「輪島塗は日本の自然と文化が生み出したもの。エコな製品でもありますし、まずは触れてみて、そのワザのすごさ、美しさを知ってもらいたいですね」

美しい漆のカンバスに
金や銀で華やかさを描く「蒔絵師」

 次にご紹介するのは、蒔絵師の北濱幸作さん。「蒔絵」は模様を漆で描き、金銀粉を蒔き付け、さらに漆で塗り固めるなどした後に、研磨して金銀の光沢を表すワザ。時には螺鈿(貝殻の内側の部分)を使うなど多彩な技法を駆使して漆の上に美を表現していきます。「蒔絵のおもしろさは、平面の上に3次元の表現ができることです。漆というのは実に奥行きのある塗料で、しかも蒔絵には研出(とぎだし)蒔絵や、高蒔絵など様々な技法があり、いろいろな表現ができる。同じ形の器をつくっても、ひとつとして同じものはありません」。

 輪島塗の職人の世界では、普通4年程度の修行が終わると「年季明け」という儀式があって、一応、一人前とされます。「修業時代は大変で、3年経っても、いつやめようかと思っていました。ワザを極めるというのは、実は毎日毎日同じことをやっていくことの積み重ねです。若い頃にはそれが結構つらいんですね。実際、指名されて仕事ができるまでには10年は必要でしょう。輪島塗はもともとが丹念につくられた美しい漆器です。『模様がない方がいい』と言われないかと、緊張感はずっとつきまとっています」。

 北濱さんはご夫婦、そして長男の智さんと一家3人で蒔絵の職人です。長男の智さんは「両親の仕事を見ていて、大変な職業だな、と思っていました。でも蒔絵を施し磨き上がったものを見て、とてもきれいだ、と思ったのがこの道を志したきっかけかもしれません」と語ります。智さんははじめ別の師匠に入門。年季明けの後、家族とともに仕事を始めました。「今はいろいろなものに、いろいろなモチーフの蒔絵をしたいと思っています。絵画で自己表現をする人、またダンスで自己表現をする人もいますが、自分は蒔絵で表現したいと思っています。現在、輪島塗の職人の中でまだ自分が若い方ですが、これからもっといろいろな感性を持った若い人と一緒に仕事をしたいですね」

左:真剣なまなざしで器に模様を描く北濱さん。失敗が許されない緊張の瞬間です。右:漆で描いた模様の上に、金粉を筒から『蒔いて』いくことで、無地の器の上に繊細で美しい世界が現れてくる。親指には漆の『パレット』が。
左上・右:蒔絵に取り組む北濱さんの長男の智さん。職人歴11年目。自分が好きなこと、やりたいことを、今後蒔絵の世界で挑戦したいと語ってくれました。左下:智さんが年季明けの時に行った儀式の一コマ。ちょっと結婚式のようですが、師匠とかための杯を交わして、後に一人前の職人として世間に披露される、ということになるそうです。
左:金粉や銀粉は丁寧に紙に包んで保管されています。右上:金粉と蒔き筒。これらが漆のカンバスに美しい模様を描き出します。右下:北濱さんが以前に製作した作品。多彩な色が施され、華やかな美しさが表現されています。

精緻なワザの中にも
常に新しいことに挑戦する「沈金師」

 最後にご紹介するのは沈金の山崎徹司朗さん。沈金の師匠に入門した時から数えると、職人歴は60年。輪島塗伝統工芸士の中心的存在として活躍されています。1986年にはフランスで行われた伝統工芸展にも参加。パリ国際会議場で沈金の実演を行った経験もあります。「入門したての頃は何が大変かというと、一日中座っていること。まず、一日中座っていられる“体”をつくり、一点を見つめ続けていられる“目”をつくる。スポーツ選手と一緒ですね」。

 修行中は時には師匠に厳しく指導されたそう。「私たちは座布団に座って、そして自分専用の“枕”と呼ばれるクッションを抱えて腕と体を安定させ仕事をするのですが、『枕を持って出ていけ』とよく言われました。言われたらちょっと出て行くんですけどね。暫くして戻ると師匠の機嫌は直っていました」と笑う山崎さん。年季明けの後は、5~6年、武者修行という形で他の師匠の元などへ行き、様々な仕事をしたそうです。「そこで異なった技術を身につけたり、そこに訪れる塗師屋さんと知り合いになったり。『この男はどのくらい仕事ができるか』と見られますから、信用を得るためこちらも真剣です。また、様々な場で出会った同職の友人はとても大切な財産となりました。意見を交換したり、一緒にグループを作って展示会を開催したり。狭い輪島の中ですが、多くの友人ができました」。

 若い頃から依頼される仕事の他にも積極的に自らの作品づくりをし、美術展にも応募。さまざまな賞も受賞されてきた山崎さん。沈金のおもしろさはデザインにあると言います。「美術館で様々な絵を見たり、自然の中に出かけていってスケッチをしたり。どこにでも題材は転がっているのですが、若いときにはそれになかなか気づきませんでした。最近は書道の勉強もし、免許皆伝となりました」と、職人歴60年を超えた今も、さらに新しいことに挑戦する山崎さん。輪島塗の職人の方々を取材した中で一番感じたことは、皆さん現状に満足せず、常に次が最高、という気持ちをもたれているんだな、ということ。それが職人魂なのかもしれません。

左・右上:一彫り一彫り丁寧に盆に模様を彫り込んでいく山崎さん。「最初は点を打つところから修行を始めました。『点彫り』というのですが、毎日毎日これを繰り返しました」という山崎さん。盆の下に置かれているのが“枕”。右下:職人歴60年を超える山崎さん。いまでも様々な本を見たり、美術館に通ったり、時には自然の中に出ていってスケッチをするなど、デザインのアイデア探しに余念がありません。
左上:実は山崎さんの奥様もベテランの職人。時には山崎さんの作品に厳しい(?)意見を言われることもあるとか。左下:今は山崎さんの彫ったたものに漆を塗り込み、金箔を押し込んで磨き出す、という仕事を担当しています。美しい模様が金色に輝いて浮かび上がりました。右上:沈金に使う道具。手に持たれているのは円を描くもの。各種の沈金ノミは、ひとつひとつ丁寧に研がれています。右下:作品の説明をされる山崎さん。
見せていただいた山崎さんの作品。とても細かな線が幾重にも施され、見事な美しさが表現されています。


輪島塗 呂色師

輪島塗 沈金師

輪島塗 蒔絵師