津軽塗の歴史
津軽藩大名お抱えの塗師が創始者。
明治に地元産業化の土台を築く
津軽塗の創始者は、藩の産業や文化を盛んにするために津軽4代藩主信政公が召し抱えた、塗師(ぬし)・池田源兵衛と伝えられています。津軽塗が地元産業としての土台を築いたのは明治初頭。昭和 40年代には、高度経済成長により、これまで貴重品であった津軽塗は庶民にも手に入れられるようになり、大衆化していきます。また、その10年後には10件の工場が集まって団地化がなされ、弘前市の地場産業として大きく飛躍しました。さらに同年、国の伝統的工芸品産業に「唐塗・七々子塗・錦塗・紋紗塗」の4技法が指定。各方面から高い評価を受けながら、その後も多くの工人たちが創意工夫を凝らし、今日の津軽塗を築き上げてきました。
津軽塗の魅力
多彩な技法で描く漆模様
丈夫で美しい伝統漆器
わが国最北端の伝統漆器「津軽塗」の特徴は、蒔絵などとは違い、漆で模様を作るところにあります。多彩な塗り技法から生まれる模様には、斑点模様や魚の卵(ななこ)を彷彿とさせる模様から、つや消しの黒地に漆黒の模様を浮き出したものまであり、それぞれに異なる個性・味わいを感じることができます。さらに、緑や赤の漆は、使うごとに鮮やかな色へと浮き上がってくるなど、経年変化を楽しめることも大きな魅力です。また、職人さんが塗っては研ぐ作業を丁寧に繰り返すことから生まれる堅牢さも大きな特徴となっており、優美で繊細な模様からは想像もつかないほど丈夫です。
津軽塗ができるまで
木地、下地、塗りの
3段階で丹念に制作
製作工程は大きく分けて木地、下地、塗りの3段階に分けられます。木地工程では木材の伐採から乾燥、ろくろによる削り出しまで。下地工程では砥の粉と糊漆に生漆を混ぜ、布着せした上に塗り乾燥させたのち、表面を平に研ぎ、さらに生漆を塗り、乾かします。ここから本格的な塗りの工程が続き、それぞれの塗り技法によって工程が異なって行きますので、唐塗の場合をご紹介します。まず、卵白を混ぜた漆をへらで叩くようにしながら全面に斑点模様を付けていく「仕掛け」を行い、斑点模様の色が引き立つ色漆を塗る「塗掛(ぬりか)け」の工程に移ります。つぎに、朱漆と緑漆を市松模様に塗る「彩色」の工程、さらに、透き漆を薄く塗り錫粉を全面に蒔く「妻塗り」、仕上がりの地色になる透き漆を塗り乾かす「上げ塗り」を行っていきます。最後に、塗り面の艶を出すため磨きをかければ完成となります。
主な産地・拠点 | 青森県 |
このワザの職業 | 塗師 木地師(漆器) |
ここでワザを発揮 | 家具 座卓 茶器 食器 文箱 盆類 硯箱 箸 花器 |
もっと知りたい | 津軽塗|青森県漆器協同組合連合会 |