東京銀器の歴史
江戸期から受け継がれた技法が、
万国博で好評を博し、世界が注目
日本において本格的に銀製品が作られるようになったのは室町時代。各地で銀山が発見され、ヨーロッパから新たな精練法が伝えられたことがきっかけといわれています。江戸時代に入り、金属に細工をする錺師(かざりし)は、刀剣や甲胄(かっちゅう)などの武具に関わりが深いことから、幕府や諸大名からも特別な保護を受けて、職人同士が技を競い合うことで切磋琢磨しました。明治維新後は、これらの職人が彫金、鍛金などに分業化することで、一層腕に磨きをかけました。さらに、諸外国への儀礼贈答として銀製品を採用した国策もあって隆盛。明治元年(1867)の万国博覧会では、日本情緒豊かな肉厚の花器などの銀製品が高い評価を受け、世界の人々に知られるように。第二次大戦後、外国人の往来が多くなった東京では、スプーン、フォーク、装身具類をはじめとした銀製品の需要が拡大。今日では、東京が銀製品の主要産地となりました。
東京銀器の魅力
鈍い光の中に光る優美さと深い
味わい。使うほどに風合いが増す
食器・茶器・菓子器・香水入れなど、日常生活の色々な分野で利用できる多彩なラインナップが揃う「東京銀器」。彫金を施した品や、文様打ち用の金槌で叩いて表面に文様をつけた品、切嵌(きりばめ)という技法で銀以外の金属を嵌め込んだ品などもあります。一枚の銀の板を、鎚と当て金を使って一打ち一打ち打ち出し、2次元平面から3次元立体を作り上げていく銀器は、鈍い光のなかに優美さと深い味わいを秘め、ほのかな温かみすら感じさせてくれます。一方で、無害で食べ物の味を変えないことに加えて、錆びないため長持ちし、使うほどに風合いを増していくことも大きな魅力です。
東京銀器ができるまで
一枚の銀板を成形し、彫金や別の
金属をはめ込むことで模様を生む
地金を加熱し加工しやすくし、作品に必要な面積を切り出します。金鎚と当て金を使って成形し、締まって固くなった地金は、ガスバーナーで加熱しながら丹念に打ち続け、加熱と打ちを繰り返しながら地金を絞り込んでいきます。一定の形に整えてから、岩石・ござ目・かご目・亀甲紋など、金鎚にあらかじめつけてある柄を打ち込んでいきます。ここからは、いろいろな鏨(たがね/金属を切断したり、彫ったり、削ったりするのに用いる工具)を使い分けながら、模様を浮き出させていく彫金の場合と、地金の模様部分を切り抜いた部分に別の金属を嵌(は)め込んでいく切嵌(きりばめ)に分かれます。切嵌は、特にも指先に神経を集中して行う繊細な仕事であるため、熟練を要する作業です。その後、仕上げを施し完成となります。
主な産地・拠点 | 東京都 |
このワザの職業 | 彫金師 金工 |
ここでワザを発揮 | 茶器、酒器、花器、置物、装身具 |
もっと知りたい | 東京金銀器工業協同組合 東京都伝統工芸士会 |