高山茶筌の歴史
「一子相伝」の技法。
わび茶とともに発展した茶道具
起こりは、8代将軍足利義政が治めていた室町時代中期。連歌・和歌に優れた達人として有名な高山城主(生駒市)の次男・宗砌(そうぜい)が、親交の厚かったわび茶の祖・村田珠光(じゅこう)に、茶道具の製作を依頼されたのがきっかけと言われています。苦心の末、生みだした高山茶筌は、後土御門天皇に献上。いたく気に入られ、天皇から「高穗」の名を賜りました。喜んだ宗砌は茶筌の技術向上に打ち込み、製造法は高山家の一子相伝に。その後、高山一族が別の地へ赴任する際、残る家臣十六名に秘伝のワザを託したのです。そして、安土桃山時代にわび茶を完成させた千利休を頂点する茶道の発展によって生産が拡大。昭和時代に入っても、秘伝は口外されることはありませんでしたが、戦後、職人不足などの理由により一般公開されるようになりました。
高山茶筌の魅力
全国の9割以上を生産。耐久性と
美しさを持つ約120種類の茶筌
茶筌といっても、高山茶筌は多種多様。煤竹(すすだけ:古民家のわら葺き屋根の中からとれる竹)を使用する表千家流、淡竹(ハチク)を使う裏千家流などの流派をはじめ、薄茶用、濃茶用、献茶用といった用途にもよって、竹の種類、穂の形、穂数、竹の太さ、竹の長さ、糸の色によって区別されています。そのため、高山茶筌は約120種類。しかも国内生産シェア9割以上を誇ります。茶道の達人たちの思いに応え、使いやすさと耐久性を備えた美しさが、選ばれる所以なのかもしれません。元来お茶は、健康と長寿を求めた薬でした。現在では、日本古来の作法や形式を大切に継承しつつも、「ヒーリングとしてのお茶」としての価値を見いだしています。
高山茶筌ができるまで
良い職人は音でわかる。
全工程を手作業で仕上げる
全8工程を一本一本手作りで行う高山茶筌は、多彩な用途に対応するため、材料選びから職人のワザが極めて重要になります。まず、原竹をそれぞれのサイズに切り、穂となる部分を60本~240本に小刀で小割。熟練した職人は、竹をたたく音・竹を裂く音で仕事の良し悪しがわかるほどになるそうです。音ですべてがわかるくらいの集中力が必要となります。小割後、味削り、面取り、下編・上編、腰並べなどを施して、形を整えたら完成です。良い茶筌をつくるには、使いやすさ・耐久性・衛生的・美しさを共存させなくてはなりません。それには、長年の経験はもちろんのこと、職人自体が使う人の心を知る必要があるのです。
主な産地・拠点 | 奈良県 |
このワザの職業 | 竹細工職人 |
ここでワザを発揮 | 茶筌、美術品、コーヒーの泡立て用 |
もっと知りたい | 奈良県高山茶筌生産共同組合 |