千年の時を越えて漉かれてきた石州和紙。
いま世界の注目を集め、また次世代へと続いていく
島根県浜田市三隅町。
海の見える紙の里
清流の瀬音聞こえる山深い里。紙漉きの里というと、そんな場所を想像するものです。「石州和紙(せきしゅうわし)」を漉く工房が集まる島根県浜田市三隅町は、日本全国に数多ある紙漉きの里のなかでも唯一の“海の見える紙漉きの里”。この三隅町には現在4つの事業所があり、伝統的な紙漉きのワザを継承しています。石州(石見)の手漉き紙については、平安時代の法令集「延喜式」(905年)に記述があり、実に千年の時を越えてこの地に紙漉きのワザが続いてきたことになります。
「石州半紙(せきしゅうばんし)」は昭和44年(1969年)に国の重要無形文化財に、「石州和紙」は平成元年(1989年)に経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」に指定されています。平成21年(2009年)には、ユネスコ無形文化遺産に「石州半紙」は登録されていましたが、平成26年(2014年)11月、「石州半紙」に「本美濃紙」「細川紙」を加えた「和紙」として再びユネスコ無形文化遺産への登録が決定しています。このように今、世界から注目を集める「石州和紙」について、「石州和紙 久保田」の若手和紙職人、久保田総さんを訪ね、お話をうかがいました。
紙の原料「楮」を
自らも栽培管理する
最初に久保田さんに案内していだいたのは、楮畑(こうぞばたけ)。石州和紙は原料に楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)を使います。なかでも石州で栽培された楮は良質と言われ、とても強靱な紙が出来たことから、かつて大阪商人は石州半紙を帳簿に用い、火災の際にはいち早く井戸に投げ込んで保存を図ったとの逸話が残っているほどです。
「楮は四国や那須にもありますが、石州の楮はいちばん良いと言われています。それでも良い原料にするためには脇芽を剪定する、下草を刈るなど手がかかります。ここの畑は、4事業所で管理しています。楮を栽培してくださる農家も年々少なくなっているので、自分たちでも栽培しているのですが、時間も取られますしなかなか大変です」。浜田市が原料を栽培してくれる農家を探してくれたり、補助金を出すなど協力をしてくれることに感謝しつつも、「自分たちでできることは、できるだけやりたい」と久保田さんは言います。「石州和紙の八割は楮の製品。年間、400から500キロの楮の皮を漉いて紙にしていますが、おそらく350キロを下回ると一年もたないでしょうね。今年は楮の発育もいいので大丈夫だと思うんですが、一昨年くらいが天候の影響で全然伸びなくて」と、原料確保の難しさと課題を語ります。
楮の皮から丁寧に
繊維を取り出していく
工房へ戻り、手漉き和紙づくりの工程を少し見せていただきました。
「楮の原木は毎年12月頃に刈り取り、1メートルくらいの長さに切りそろえます。これを2時間ほど蒸すとこうなります」。蒸した楮は、まだ緑色を残していてこれが白い紙の原料になるとは想像できません。「日本の手漉き和紙の原料は楮、三椏、雁皮とありますが、石州では楮を使うことが多いです。使う部分も皮だけ。パルプは原木もすべて使いますが、うちは木の方は一切使いません。あとは処理方法で色合いも変わってきます。楮の表皮の下に白い皮があるのですが、石州ではその表皮と白皮の間にある茶色っぽいあま皮を残しています。残すことで繊維のからまりが強まり、独特の強靱さが生まれます。石州の和紙は真っ白ではなく生成り色、緑っぽい色をしていますが、これも特長です」。黒皮そぞり、という工程であま皮を残してそぞった(削った)後、不純物を洗い流し、次に水にソーダ灰を加えた煮釜で、20〜30キロくらいを一気に煮ます。
ようやく紙の
原料らしいカタチに
煮終えた原料は再度、清水の中にさらし一本一本手作業で不純物を取り除きます。和紙づくりの工程には水が大量に使われますが、手作業だけに冬場の作業は堪えるそうです。この工程までくると、楮畑で青々と茂っていた楮が白っぽい繊維の塊となり、紙の原料のイメージと結びついてきます。「10キロくらいの楮を収穫して、皮は2〜3キロくらい」とのことですから、なかなか手のかかる仕事です。紙料といわれる状態になった楮の繊維と、独特の粘性を持つトロロアオイを水を張った漉き舟に入れ棒で混ぜて、繊維を均等に分散させます。「トロロアオイは粘りけがあるため接着剤だと勘違いされるんですが、接着効果はまったくなく、水の中に紙料を均等に分散させるために入れます」。久保田さんによると、トロロアオイは熱に弱く夏は漉いているうちに粘りけがなくなってしまうため漉きにくく、水は冷たくとも冬場の方が紙を漉く環境には適しているのだそうです。紙を漉きながら状態をみて、トロロアオイを足したりするそうですが、このあたりにも職人の経験、カンが必要なようです。
漉き桁を操り、
紙を漉いていく
ここまできて、ようやくお馴染みの“紙漉き”の工程に入ります。どの伝統工芸の取材をしても同じだと感じるのが、段取り、仕込みに時間がかかること。またその仕込みの質が仕上がりの出来を左右するというのも、共通して言えることです。漉き桁(すきげた)という枠に漉き簀(すきす)という細い竹でできた道具を敷いて、リズミカルに水をすくい捨ててという動きを繰り返し行います。久保田さんで、一日200枚くらいを漉くことができるとのこと。全国各地には紙漉きの体験ができる施設がありますが、初めての人でもカンがよければ一日で紙漉きのカタチにはなるそう。ただ名人との差はどこにあるかと言うと、「紙を均一にすべてほぼ誤差がなく漉ける人が名人じゃないですかね。何回か水を足してトロロを使うので時間帯、気温で状態は結構変わってくる。そういうのも体で覚えとる人はすごい人ですね」。
日本から世界へ。
和紙に見える可能性
浜田市には、石州和紙製造のすべての工程が体験できる「石州和紙会館」があります。ここには、石州半紙技術者会と石州和紙協同組合の和紙が一堂に会す展示室もあります。また大判の紙を漉ける施設も有り、各事業者が利用することもできるそうです。資料によると、石州半紙の製造者は明治22年(1889年)には、6377戸あったそうですが、現在は4つの事業所のみ。原料や道具の問題、紙漉きの後継者の問題など、取り巻く環境は多くの伝統工芸と同じく厳しいのですが、それでも4つの事業所がまとまり、市や県の協力を受けながら現状を変える動きを活発にしているという印象を受けました。
「道具を作ってくださる職人さんも高齢化しています。僕ら紙漉きのほうも若い人が頑張って行きませんといけないのですが、幸いに4事業所にみな跡取りがいます。後世に残すために、頑張って行かないと」。用途を広げる動きとして、美大の学生に和紙を使った展示を企画してもらったり、内外の版画家に和紙を使ってもらう試みも行っているそうです。
「石州和紙というと、書道の半紙、文化財の修復用の紙などのイメージがありますが、少しずつ用途を広げていきたいです。またほとんど国内を相手にしていますが、今後は海外も視野に入れて和紙をアピールしていきたいと考えています」。
取材を通して、改めて和紙の可能性に気づかされました。環境にやさしく、独特のぬくもりが人に安らぎを与えてくれる和紙は、軽く、丈夫で、文字や絵を書く以外にも立体物にもできる変幻自在な材料でもあります。千年の時を越えて続いてきた和紙の文化は、これからも形を変えながら、久保田さんたち若い世代の手で次の千年、必ずや受け継がれていくのでしょう。