大阪欄間の歴史
徳川家康が造営した元三大師堂に
伝統技術のベースが息づく
欄間とは、天井と鴨居の間の空間のこと。採光や通風の自然換気のために、透かし彫りの板などを取りつけるもので、装飾性を兼ねています。大阪欄間の発祥は、江戸時代初期頃。徳川家康により造営され、重要文化財(国指定)となっている四天王寺の元三大師堂(もとさんだいしどう)などに伝統技術の原型が見られます。江戸時代中期には、光の開放感・風通しの良さという実用性と品格を生む室内の装飾性で人気を博し、大阪商人をはじめとする一般住宅の茶の間や客室などにも採用されるようになりました。江戸時代後期になると一転、贅沢を禁止する法が出され、豪華爛漫な彫刻は製造不可に。そこで、透彫といったシンプルでいて個性的な欄間がつくられるようになったのです。現在では、豪華な欄間、シンプルな欄間といった様々なデザインが人々を楽しませています。
大阪欄間の魅力
機能性とデザイン性を両立。
町人文化が生んだ多種多様な欄間
採光・通風をよくする欄間は、実用性と品格を保つための装飾性のバランスが大切です。大阪欄間は、屋久杉の木目が美しい「彫刻欄間」をはじめ、シンプルな幾何学模様の「組子欄間」、木肌と透かし模様が調和した「透彫欄間」、「筬(おさ)欄間」や「抜(ぬき)欄間」など、多彩な種類が存在。明かり取りや通気性などの機能性を重視しつつも、見る人の心を捉えるデザイン性が息づいています。近年は、マンション向けのシンプルデザインなど、時代のニーズに合わせた大阪欄間も生産。大阪の町人文化が育んだ技法は、常に進化を続けています。
大阪欄間ができるまで
樹齢千年以上の銘木を使用。
多彩な彫りで、立体的な彫刻に
ここでは、天然木の木目を活用して、花・鳥・風景などの模様を立体彫りする彫刻欄間を紹介します。まず、樹齢1000年以上の屋久杉などの銘木から材料となる木を選びます。そして、製材、乾燥、木取り、下絵描き、挽き仕事、繰り仕事、荒彫りという多くの工程を経て彫りに入ります。彫りの種類には、深く彫る「上彫り」、三重四重の重なりを表現する「かご彫り」、重なりの区別をつける「なみ彫り」の三つ。どれも木目を活かした立体感・遠近感のある彫刻が特徴です。その後、面取り、磨き加工、額縁組を行って、つくられたものを欄間にはめ込んで完成です。
主な産地・拠点 | 大阪府 |
このワザの職業 | 彫刻師 |
ここでワザを発揮 | 欄間、衝立、彫刻額 |
もっと知りたい | 凄腕職人街 大阪欄間工芸協同組合 |