大阪金剛簾の歴史
万葉集にも登場した簾。農作業の
傍らでつくられた竹細工が起源
日本における簾の起源は定かではありませんが、万葉集の歌の中に「すだれ」の字がみられるため、7世紀以前が起源であることがうかがえます。大阪金剛簾の起源は、1655年頃に新堂村(現在の富田林市若松町)の人々が農作業をする傍ら、竹細工をつくったのが始まりと伝えられています。なぜ、新堂村だったのか。その答えは、江戸時代初期より、上質な真竹が自生していた金剛山の麓(ふもと)に近かったためです。その後、新堂村は次第に竹簾の産地を形成し、1960年頃には全国有数の生産量を誇るまでになりました。ちなみに、現在に伝わるお座敷簾の原型は、平安時代に宮中で間仕切りなどに使用されていた御簾(みす/主に緑色の布で縁取りをした簾)とされています。
大阪金剛簾の魅力
日本独特の涼を感じさせる意匠。
光や風を簡単に調節できる機能性
室内の間仕切りや、日除けとして現代の生活でも用いられる大阪金剛簾は、室内に入る光や風の量を簡単に調整できるなど、使い勝手の良さが大きな魅力です。また一方で、天然の素材を生かした品を感じさせる簾は、夏の風物詩として日本の暮らしに深く根づいており、日本独特の涼を感じさせてくれます。近年では、秋田の樺細工職人とのコラボレーションによって生まれた照明など、産地の垣根を越えた斬新な商品や洋室にもマッチする商品も徐々に増えてきています。
大阪金剛簾ができるまで
全ての工程を手作業で。
職人の腕が試される「錦の裁断」
ほぼ全工程を手作業で行う簾づくりは、真竹の伐採・乾燥・切断から始まります。切断した竹の節を小刀で剥ぎ、上皮は皮剥ぎ包丁で剥いでいきます。さらに、竹割包丁で丸竹を幅八分ほどに荒割りし、更に4等分に。そののち、上皮と身を分け、幅4分の上皮を各簾に合わせて選別し、カッター機に掛けます。細くした竹ヒゴは、艶出しの工程へ。竹ヒゴを編み機に掛け、「くの字型」に模様を描きながら編みます。つぎに、西陣どんすや錦織物の原反を、手ばさみで狂い無く裁断。数枚の簾を横一線につるす場合などは、隣同士の柄がピタリと合うようにするため、たいへん繊細な技術がもとめられます。編みあがった簾の端や中央に、裁断した縁を縫いつけ、金具などの装飾品を付けて完成となります。
主な産地・拠点 | 大阪府 |
このワザの職業 | 竹細工職人 |
ここでワザを発揮 | 簾 |
もっと知りたい | すだれ資料館 伝統工芸 青山スクエア |