置玉紬

置玉紬

主な産地・拠点:山形県
このワザの職業:織物職人
ここでワザを発揮: 着物地、袴、帯、袋物
もっと知りたい:米澤織物歴史資料館

置玉紬の歴史
米沢藩主が世代を超えて
受け継いできた宝物

置玉紬

起源は、8世紀の始めにまでさかのぼると伝えられています。江戸時代初期には、初代米沢藩主・上杉景勝(かげかつ)が置賜紬を奨励。江戸時代中期には、第9代米沢藩主・上杉鷹山(ようざん)が財政再建のために、越後(新潟)や京都から織物職人を呼び、技術が発達。置賜紬のワザが地元に根付き、農民や武士の手で織られるようになったのです。米沢市、長井市、白鷹町と3つの地域でそれぞれ継承されてきましたが、1976年に置賜紬として統一。現在も、脈々と受け継がれています。

置玉紬の魅力
3つの地域それぞれが
独自の製造法で生み出す手触り

置玉紬

置賜紬は、3つの地域で生産される織物の総称です。そのひとつ、米沢市は自然の染料を活かした「米沢草木染」。時と共に繊維のひとつひとつに染料がしみ込み、余計なものが取れていきます。他にも、長井市では絣染めした素朴な味わいの「緯総絣(よこそうがすり)・併用絣(へいようがすり)」、白鷹町では小さな絣模様を複雑に写し出した優しい色合いが人気の「米琉板締小絣(よねりゅういたじめこがすり)・白鷹板締小絣(しらたかいたこがすり)」がつくられています。それぞれ工程が異なりますが、共通しているのは先染め平織(ひらおり)ということ。簡単なもので約10日、ものによっては2ヶ月以上と、巧みなワザと緻密な作業を重ねて織り上げていきます。

置玉紬ができるまで
自然素材を材料に
染め、織りのワザを放つ

置玉紬

生産地域によって工程が異なる置賜紬。ここでは、「米沢草木染」と「白鷹板締小絣」の2つの工程を紹介します。「米沢草木染」はまず、材料となる紅花を摘みます。摘み取った紅花を水洗もみして、発酵させます。発酵させると、の色素量が十倍に増加し、色鮮やかな紅色を生み出します。そして、紅花餅づくり、色素の溶出、染色を経て完成です。「白鷹板締小絣」は、繭から繊維を取り出す糸とりから始まります。その後、絣板巻、染色を行って、製織。職人が丹念に織り上げ、絣模様をつくります。

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