宮城県 雄勝硯

 雄勝硯の歴史

伊達家によって守られた、
日本を代表する硯

雄勝硯雄勝硯の始まりは、言い伝えによると約600年前の室町時代といわれています。文献に残っているところでは、伊達政宗が現在の牡鹿半島に鹿狩りに訪れた際、硯師が硯2面を献上したところ、非常に賞賛され、褒美をもらったとあります。2代目忠宗にも愛され、以降、その硯師は伊達藩お抱えとなりました。硯材となる石を産出する山も「お留山」と呼ばれ、一般の人が採取できないように保護されたと言われています。江戸中期には、既にこの地の名産品として知られ、今にそのワザが伝えられています。

 雄勝硯の魅力

美しい雄勝石を職人の手により、
芸術品とも言える道具に

雄勝硯まず硯材。雄勝硯の原石となる雄勝石は2億年以上も前にできた黒色硬質粘板岩で、粒子が均質に揃っています。光沢がある美しい黒色で、圧縮や曲げに強く、さらに吸水率が低く、化学的作用や長い年月による変化にも強い、という硯材としてはとても適した特性を持っています。この雄勝石をさらに選別し、職人の手で彫り、磨き、仕上げと進めて、見事な硯を作り上げていきます。硯にとって最も大切なのは、墨をする際に歯の役割を果たす鋒鋩(ほうぼう)と言われています。雄勝硯の特徴はこの鋒鋩の荒さ、細さ、堅さ、柔らかさのバランスがちょうど良いこと。色は黒または暗い藍色で、豊かな艶があり、石肌はなめらか。硯という道具として優れていることはもちろん、見て、触って、その美しさを楽しめる、日本を代表する硯のひとつです。

 雄勝硯ができるまで

採石から彫り、磨き、仕上げと、
力、技術、集中力を併せて創る

雄勝硯ができるまで雄勝硯は古くから、採石、切断、砂すり(原石の表面をなめらかにする)、彫りと分業されてきました。まず採石は、露天掘りにより原石を表面から一枚一枚剥離して採石。中でも良質なモノを選別し、制作する硯の大きさに合わせて切断。切断した原石を円盤状の回転すり盤機にのせ、川砂と水で表面の凹凸を取り滑らかにします。次に彫りに移りますが、彫りには3段階あります。まず最初に「縁立て」。一枚の石から縁を作っていきます。石を彫るという強い力と、美しい曲線を創出するという技術、集中力が必要です。次に「荒彫り」。「墨堂」という墨をする部分と「海」と呼ばれる墨がたまるところを、大まかに彫ります。次が「海彫り」。石全体の1/3が海の部分になります。その広さや深さを手で触って確かめながら彫っていきます。この墨堂から海にかけての曲面が墨の流れを決めます。彫りの次は磨き。中磨き・外磨き・仕上げ磨きの3段階に分け、砥石や耐水ペーパーで磨きます。こちらも手で丁寧に感触を確かめながら磨いていきます。彫りが終わったら底を平らに。これをしっかりしないと、せっかくの硯も台無しなのです。仕上げには漆を使ったつや出し仕上げ、やき仕上げ、墨を使った墨引き仕上げの3つの方法があり、それぞれに違った味わいがあります。

主な産地・拠点 宮城県
このワザの職業 硯職人
ここでワザを発揮
もっと知りたい 雄勝硯生産販売協同組合