宮古上布の歴史
16世紀、琉球王に
捧げられた織物がはじまり
言い伝えによると、今から約400年前の16世紀、琉球の貢物を載せた進貢船(しんこうせん)が嵐にあいました。船は壊れて沈没の危機を迎えましたが、それを救ったのが乗り合わせていた宮古島の男ムアテガーラです。彼は勇ましくも荒れ狂う海に飛び込み、みごとに船を直して乗組員の命を救いました。そして船は無事に王都・朱里へ帰り着くことができたのです。その噂を聞いた琉球王は喜び、男の功績を称えて彼に下地首里大屋子(しむじすいうふやく)の位を与え、洲鎌与人(与人は、日本の鎌倉時代の地頭に相当する役職・村長)に任命しました。男の妻、稲石刀自(いないしとうじ)は喜び、王に布を織って献上しました。この布が自生の苧麻(ちょま/イラクサ科の多年草)を用いて上布を織ったもので、宮古上布の始まりと伝えられています。
宮古上布の魅力
精緻な日本織物の粋として
数々の世界的栄誉を受ける
麻織物でありながら、糸が細く絣模様は精緻な宮古上布は、国内における麻織物の最高品と呼ばれるほど。藍染め、手積み糸、手機など昔ながらの手法で作られ、織り上げた布はロウを引いたように滑らかで通気性に富み、丈夫で長持ちします。日本麻織物の最優秀品として着尺物の王座を占め1921年に、平和世界博覧会で1等金杯受賞、1942年は、大日本技術工芸協会の保存品として1等1級に入選。1957年には、ベルギー国ブリュッセルの万国博覧会で銀賞をうけとるなど、日本織物会の粋として多くの栄誉を受けています。 1975年には、経済産業大臣より伝統的工芸品に指定を受け、1978年国の重要無形文化財に認定。2003年には、糸績み技術が、国選定保存技術となりました。
宮古上布ができるまで
昔ながらの手法で、
じっくりと織り上げる
原料は苧麻(ちょま)という種類の麻。イラクサ科の多年生低木です。この苧麻の表皮を剥ぎ取り耳貝(みみがい)の貝殻を表皮の裏側にあてて削いで繊維を取り出します。この繊維を爪先で細く裂き結び、目を作らずに撚り継いでいく。経糸は二本撚り、緯糸は一本撚りでそれぞれ専門化されています。そして、撚り継いだ苧麻を糸車で撚りをかけて糸に仕上げていきます。着物一反分の糸を作るのに経、緯それぞれを一人で作ると半年かかります。 なお宮古上布は糸積み、絣締め、藍染め、製織、砧打ち(きぬたうち/杵でまんべんなく打つこと)の5工程からなり、それぞれ分業化されています。藍染めは琉球藍に泡盛、黒砂糖、水飴、苛性ソーダを入れ発酵させて染めます。絣の仕分けをし、機上げして織り上げるのに3~4ヶ月を要します。織り上げた後は、お湯で洗い、澱粉糊で糊付けし、砧打ちで仕上げへ。最後に検査をし、合格品に検査証を貼附して完成となります。
主な産地・拠点 | 沖縄県 |
このワザの職業 | 織物職人 |
ここでワザを発揮 | 着物地 |
もっと知りたい | 宮古織物事業協同組合 宮古島織物紀行 |