丸亀うちわの歴史
金比羅参りのお土産として始まり
お祭りにかかせないアイテムに
1633年、四国の金比羅(こんぴら)参りのお土産に、金印入りの渋うちわを考えたのが始まりだといわれています。江戸時代中期には、丸亀藩が藩士の内職として奨励し、地場産業として発展しました。明治時代に入り、「丸柄(まるえ)うちわ」から「平柄(ひらえ)うちわ」へ移行。従来よりも大量生産できるようになったのです。その後も機械・技術の発展でさらに効率的に。現在では、お祭りにかかせないアイテムとして活用され、全国のうちわ生産量のほとんどを占めるまでに至っています。
丸亀うちわの魅力
一本の竹からなる自然素材。
使うほどに味わいを増す
柄と骨が一本の竹で作られていることが多い「丸亀うちわ」は、使えば使うほどに味わいが増します。原料は、マダケ、ハチクなどの竹と、木綿糸、和紙、天然漆。自然素材と職人の手作業の温もりが重なり合い、やさしい表情を演出。全国シェア90%の実績に裏打ちされた頑丈さや図柄の美しさも特長です。「伊予竹に、土佐紙貼りて、あわ(阿波)ぐれば、讃岐団扇で至極(四国)涼しい」という歌が残るように、名品として地元の人々に親しまれています。日本全国でも、夏の風物詩として大活躍です。
丸亀うちわができるまで
良い竹と良い刃物を使い
一本一本仕上げてゆく
素材である竹を割るすることからスタート。その後、竹に「切り込み機」で35?45本を等間隔で切り込みを入れます。この「切り子み機」、実は丸亀地方の人が発明したもの。1cm5mm幅の竹の柄に切り込みを入れる機械が大量生産を可能にしたのです。熟練した職人は、1日500以上をこなすそうです。穴あけ、柄削り、編み、付を経て、うちわの骨に和紙を貼りつける貼立(はりたて)の作業へ。さらに、型切り、へり取りの工程を終えて完成です。
主な産地・拠点 | 香川県 |
このワザの職業 | うちわづくり職人 |
ここでワザを発揮 | うちわ |
もっと知りたい | 丸亀うちわ |