組踊の歴史
宴のために創作され、
沖縄独自の文化として発展
組踊は、せりふを主として、歌と踊りで筋をはこぶ沖縄独自の歌舞劇です。起源は1719年、歌人・三味線の名手であった玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が踊奉行(おどりぶぎょう)として、冊封使招待の宴の余興のために創作したのがはじまりといわれています。その後、琉球歴代の王が中国の冊封を受けるごとに演じられたため、御冠船踊(うかんしんうどぅい)とも呼ばれます。朝薫は、二十歳のころから何度か薩摩や江戸に赴き、大和の芸能に精通していたため、彼の創作による組踊そのものが、「能楽」や「歌舞伎」などの影響を強く受けているといえます。しかし、組踊の題材やテーマは琉球の古事にあり、その原型も民衆の中にあった芸能が外交歴史の舞台でもまれ、さらに中国の芸能との交流によって、洗練されてきた琉球ならではの舞台芸術なのです。
組踊の魅力
ユネスコ無形文化遺産となり、
琉球の誇りから世界の「組踊」に
琉球王国の誇りとして、組踊は数多くの作品を生んできました。朝薫以外によって創られた作品もあり、現在約70の台本が残っています。明治以降は民間の人々によって伝承され、1972年には、歌舞伎・文楽などとならんで国の重要無形文化財に指定されています。組踊の特徴として、「緞帳(どんちょう)」や「引き幕」がなく、物語のすべてが連続し、古典三線楽による歌と踊り、八八音対句や琉歌による唱え(せりふ)で構成されています。また、人間の内面描写を中心とし、わずかな視線のながれや台詞の抑揚で心の姿を描いています。写実性をひかえ、少ない動きと小道具で表現されるからこそ、人々の感情の裏にある創造性をかりたてるのでしょう。2010年には、ユネスコの無形文化遺産に登録。名実ともに世界に認められる芸能となりました。
※画像は背景に置かれる紅型幕
組踊ができるまで
物語の基本はハッピーエンド。
勧善懲悪で観る者に感動を
組踊の内容は、仇討物と孝行物がほとんどです。朝薫の大作「五番」などは、象徴的な演技が多く、文学性の高さがうかがわれます。それ以降の組踊は、徐々に写実性が強くなり、大きな動きなどを重視した劇的要素が濃くなりました。組踊の主題は、忠孝・節義です。そこには君父に対する献身が、なによりも美徳とされていた時代背景があります。したがって、物語の結末は『執心鐘入』を除けば、どれも、めでたしめでたしで終わっています。徹底した勧善懲悪の思想が、観る者、聴く者に自然にその考えを助長させる役割を担っていました。この中で、『手水の縁』という若き男女の恋の勝利という、他にはない異色の形をとっている作品があります。作者の平敷屋朝敏がのちに国事犯に問われ処刑されたため、表向きにはほとんど出回りませんでした。しかし、若者の間では深い感動をもって愛読をされていたようです。情報過多の現代では、恋愛小説など当たり前のように出回っていますが、この時代に生きていた若者たちにとっては、斬新で心を打たれた唯一のラブストーリー。きっと、密かにそのときめきを共有していたことでしょう。
※画像・イラスト提供:国立劇場おきなわ
主な産地・拠点 | 沖縄県 |
このワザの職業 | 組踊演者 |
ここでワザを発揮 | 国立劇場おきなわ |
もっと知りたい | 国立劇場おきなわ |