ワザNOW vol.7
甲州印伝 2013/2/22

使い手を敬う心が、
カタチとして浮かび上がる「甲州印伝」

1582年から口伝により、
今に続く印伝

 とんぼ・ひょうたん・きつね・ぶどう……。さまざまな色調の鹿革に艶やかな漆柄が踊る山梨の伝統工芸品「甲州印伝」。柔らかく丈夫で軽いといった機能性を持ちあわせており、約400年の歴史を誇ります。現在までに幅広い年齢層に受入られているのは、美しさと機能性を兼ね備えた工芸品だからなのかもしれません。
 甲州印伝を制作する会社は、山梨県に数社。その中でも、鹿革に漆を付ける独自の技法を編み出した「上原勇七」の系譜を受け継ぐ会社があります。それが、今回取材にうかがった「株式会社 印傳屋 上原勇七」(以下、印傳屋)です。

軽く丈夫といった機能性と艶やかな漆柄の美しさを兼ね備えた伝統工芸品「甲州印伝」

日本伝統のデザインに留まらず、現代の暮らしからヒントを得たデザインを施した甲州印伝の製造・販売も行う「印傳屋」

「印伝を多くの方に知ってもらいたい」。
その情熱から生まれた「印傳博物館」

 400年の歴史を誇る甲州印伝が、どのように普及したのか。その謎を解く鍵は、町民の暮らしの変化にあると印傳屋取締役総務部長の出澤氏は話します。
 「1582年から口伝により、今に続く印伝(現在では、印伝技法の普及のため、広く公開されています。)。用いる鹿革は、昔は甲冑などの武具を中心に使用されていました。山梨県甲州市の『菅田天神社(かんだてんじんじゃ)』にある国宝の鎧兜にも鹿革が用いられていますよ。やがて、武士から町民の時代になると『印伝』の巾着や刻み莨(たばこ)入れなどの身辺雑貨が多用されるなど、広く町民に普及したのだと思います。人が動く時は、大切なモノを持って移動しますので、町民が豊かになり、活力が出てき証でもありますね。鹿革は、入手が比較的簡単にできて、肉が美味しい。副産物として鹿の角などが使える。そういう意味では、鹿はちょうど良かったのかもしれませんね。」
 こうした甲州印伝の歴史をはじめとし、制作工程なども学べるのが、出澤氏が中心となり9年にも及ぶ構想の末、完成にこぎつけた「印伝博物館」。
 「『私どもは、印伝についてこのように判断しています』と、多くの方に伝えるためには、様々な文献を調査・検証し、その結果を知ってもらう場所が必要でした。この地が戦災にあったため、昔の甲州印伝がほとんど残っていないということも大きな問題でした。私が印伝を収集する場合、または寄贈していただける場合は、持ち主がどういう方で、どの時代に使用していたのかをわかるようにします」。

「印傳博物館」の外観。1階はショップ、2階が博物館になっています
印伝の歴史や魅力を教えてくださった「印傳屋」取締役総務部長の出澤氏。「第二次世界大戦中、皮は軍事物質だったんです。漆も軍事物質。そして職人は、全員徴兵。先代の話や今の会長からは、その2〜3年が経営するのが辛かったと聞きます」
「印傳博物館」では、印伝の作品を中心に道具や書物などの資料約1500点を収蔵されています
鹿皮を藁や松脂の煙で着色する「燻べ技法」に使用する道具や制作工程を紹介したコーナー

「印伝」という言葉は、弥次さん・喜多さんでも知られる十返舎一九著の「東海道中膝栗毛(1802年)」の文中に出てくるのが、文献では一番古いそう。「印傳博物館」では、こうした印伝の歴史を学ぶこともできます

「印伝をつくるだけでなく
後生に残すことも大事」

 美術商や古美術商とのネットワークを築き、日々印伝にまつわる資料の収集に励む出澤氏。地道な作業ではあるものの、それだけにお目当ての品が見つかった時の喜びは大きいと目を輝かせます。
 「年に数回ほど東京の神田の古本屋へ行くんですけどね、何年かけても見つからなかった書物が棚に並んでいた時の感動は何とも言葉に表せないものですよ。今でも忘れない。あのお店の何段目の棚にあったといことを鮮明に覚えているくらいですからね。古本屋さんとも仲良くさせてもらっています。あれは、会社の慰安旅行の時です。『お目当てのものがでましたよ』と連絡があったので『ありがとう』と伝えて、宴会もそこそこにして、朝一番に神田に直行しましたよ。何年もかけて出会えたものですから、感動しますよ。印伝をつくるだけでなく、なくなりつつある印伝の資料を見つけて、後生に伝えるために残すことも大事。それが博物館の大きな意義だと感じています」。

博物館には、貴重な資料が展示されています。画像は、革羽織。丈夫で軽く、燃え難いという鹿革の特徴を活かした火事装束です
鹿革で制作された袴(左)と火事頭巾(右)。革羽織と同様に、鹿革の特徴をいかしたものになります
印伝の巾着と早道(小銭入れ)。よく見ると色調や形状、漆柄がすべて異なり、どれも個性を感じさせます
印伝の莨(たばこ)入れ。刻み莨をいれる袋とキセルを入れる筒状のものから成ります

大小さまざまな信玄袋(合切袋)。口を広げれば、中に入れたものが見渡せて便利です

修理は、印伝を大切に
使ってくださるお客様へのお礼

 「できる量しかやらないという発想なんですね。もちろん、期日が決まっているものに関しては必死になってつくりますよ。けれど、私どもが扱うのは、漆などの自然素材。人間の力が及ばないこともあります。何でもかんでも商品として店頭に並べるわけにはいきませんので、うまく仕上がらなければ、何回でもつくり直します」。
 企業としてのスタンスを語る出澤氏は、使い手がより永く使えるよう感謝の意を込めて、随時修理に応じていると続けます。 「私たちの商品の証『山印』のマークが入った物は、ずっと修理します。それは、私たちのつくった印伝を大切に使っていただいているお客さまへのお礼でもあるからなんです」。

作業場で、鹿革を藁や松脂の煙で着色する「燻べ技法」を見学させていただくことに。奈良時代から続くという歴史ある技法のはじまりは、熱したコテで革の表面の不純物を取り除き滑らかにする「皮すり」から
つぎに、鹿革をタイコ(筒)に貼り、藁の煙でいぶした後、松脂でいぶして自然な色にしていきます
「燻べ技法」はムラなく着色するのが難しいため、熟練の技術を持つ職人のみが用いることのできる技法とされています

鹿革をタイコに固定後、糸を巻き付け煙でいぶすと、糸を巻き付けた部分は鹿革本来の色のままになり、コントラストが生まれます

「一枚一枚職人が
丁寧に漆付けを行っています」

 伝統工芸品がどのような環境で制作されているかをうかがうと、出澤氏は快く制作している現場に案内してくれました。
 「ここは漆付けの部屋。漆付けは一切、外に依頼しておらず、一枚一枚丁寧に職人が制作しています。60歳や70歳になるベテランの方もおりすが、職人さんの主力は30代前半。私どもが雇うのは、ほとんどが未経験の方です。口で言って覚えるんじゃないんですよ。未経験の方は、先輩に教えてもらいながら腕を磨き、レベルを上げていくわけです」。

漆付けの工程を行う部屋は、広く明るい
美しい光沢を放つ漆。自然素材ゆえ、経験を積んだ職人でも扱いが難しいといいます
無限の海の広がりを表す「青海波」の型紙。着物などにも見られる伝統的な図柄です
型紙から鹿革を剥がす際は、緊張の一瞬。文様が美しく刷り上がったかどうか気になる所です

目にも鮮やかな漆柄をまとった鹿革。これを数日、温度や湿度を管理した部屋「ムロ」で乾燥させると、一層つやが増します。仕上がりに応じて縫製やファスナー付けなどをし、完成となります

「人間尊重」。
その心がカタチにあらわれる

 多くの方が入社希望に訪れているという印傳屋。いたってシンプルな採用基準からは、同社に息づく職人として大切な精神が見えてきました。
 「『人間尊重』。この一言につきます。私たちがデザイナーなどを雇用する時は、人柄で決めます。ですから、能力があっても、人柄に、『うん』と納得できなければ契約しません。人柄がきちっとしていれば、良いものをデザインし、つくってくれます。それは、印伝を使ってくださるお客さまを敬う心というのが、形となり、作品に浮かび上がってくるからなんですね。もちろん、そうした心を持つ職人さんに対して私自身も敬いの心を忘れず、接しています。長い間、印傳屋はお客さま、そして職人によって代々支え続けられてきたわけですからね」。
 使ってくださることを敬うこととはどういうことか。それをこんなエピソードを交えて教えてくれました。
 「昔、限定500個のカメラを入れる袋を制作するという依頼を受けたのですが、先方さんが図面を引いてきたんですね。さすが技術者。ミリ単位でサイズを指示してきた。技術者は精度が高い方が良いという価値観。けれど、私たちがつくるのは、工芸品。量産品もつくりますが、一点物をつくっています。そうしたものには、作者の癖が入る。それは、機械でつくられる商品にはない面白さ・味わいであり、愛着に結びつくところ。精度も大事ですが、それよりも誰がどのように目や手で楽しみ使うかを考えることが大事だと感じています」。

黙々と作業する印伝職人のみなさん。静かな室内には、微かに漆の匂いがただよいます


永く愛していただけるようつくる。
それが日本のものづくり

 父・母から息子へ。または祖父・祖母から孫へプレゼント。そんな風に印伝が受け継がれてきたのかもしれない。そう考えていたが、そればかりではないことを出澤氏は教えてくれました。
 「『孫に印伝を持たせたい』。そういうお爺さま、お婆さまも当然いらっしゃいます。けれど、自らが使っている印伝を、息子、さらには孫へと受け継ぐ。日本の職人も、職人がつくったものを使う側も、こうした考えが基本にあったはずなんです。それがいつしかおかしくなって、息子や孫に買い与えるという人がでてきた。私たちがつくる印伝に限らず、たとえば着物もそうです。極端かもしれませんが、お婆さまやひいお婆さまがあつらえた物を着るのが着物ではございませんか。日本の文化というのは、そこにあるように感じます。ですから、続けて使っていただけるようにするというのが、ものづくりであると、私は思っています。私が言うのもおかしいのですが、私たちがつくる印伝は、こよなく愛していただける。これが一番大事。気に入って、愛していただくということは、(その物を)育てていただくこと。革の羽織を潰してまた財布にするなど、使い古した物の形を変え、受け継ぐこともできるのです」。
 使い手を敬う心で印伝をつくり、後生に残すための努力を惜しまない印傳屋。こうした姿勢を長年貫けるのは、お客さま、ひいては地元の方々に支えられてきたことを実感しているからに違いないないはず。情熱を持って印伝の歴史や魅力ついて教えていただいた出澤氏、そして真剣なまなざしで印伝をつくる職人さん達の顔が印象に残る取材になりました。

甲州印伝 漆塗り

甲州印伝 ふすべ