笠間焼の歴史
信楽焼の窯から誕生。
藩の保護・奨励のもと発展
江戸時代の中期、現在の笠間市内にあたる箱田村の久野半右衛門が、信楽焼の陶工であった長右衛門の指導のもと、焼き物を始めたのが笠間焼きの起源と伝えられています。明治時代に廃藩置県で笠間藩がなくなるまで、藩の保護・奨励を受けていました。ちなみにその窯は「久野陶園」という名で現存しています。笠間焼の誕生から昭和20年代頃までは、瓶や摺鉢等の台所用品が多く焼かれていました。しかし、生活様式の変化から少しずつ作られる製品の種類が変わり、現在では食器等の食卓用品や花瓶、置物などが作られるようになりました。また、市が陶芸団地を建設したことから、県外だけに留まらず、国外からも多くの陶芸家が笠間に集結。伝統を受け継ぎながら、徐々に独創性あふれる作風が花開いていき、今では「ニュー笠間焼」と呼ばれる作品も生まれるようになりました。200年以上の歴史の中で受け継がれてきた伝統的な作風と、多種多様な感性を反映した自由な作風が共存するのは、全国の産地を見渡しても特異であるため、多方面から注目を浴びています。
笠間焼の魅力
多彩かつ巧みな釉薬の彩り
伝統に多様な感性を映す
作品の表情を彩る釉薬の巧みな技が特徴の笠間焼き。台所用品を中心に、200年以上受け継がれてきた伝統的な作品に加え、最近では空間にアクセントをつけるインテリアとしての陶壁や壁画、オブジェなどの作品も数多く誕生。伝統にとらわれない自由で現代的な感性が共存する焼物として近年注目を浴びています。作品の表面を彩る透明感のある白色や品を感じさせる黒、渋い橙色などは決して派手さはありませんが、味わい深く、どこか心がホッとする落ち着いた色合い。どっしりとしており、堅く壊れにくい点も日用品として重宝されています。
笠間焼ができるまで
多彩な釉薬の技で、
表情ゆたかな作品を創造
笠間焼作りの工程は、山や畑の地下にねむる粘土を掘り出すことから始まります。掘り出した原料の陶土には、ほとんどの場合鉄分が含まれているため、そのまま焼くと赤黒い陶器になります。そうした性質から、素焼きした製品に白い土を水で溶かしたものを使って絵付けや飾りを施すほか、浸し掛け、流し掛け、はけ掛け、筒掛けなどの技法で釉薬を掛けるなどして表情ゆたかな作品を生み出しています。ひとつひとつが手作りで、ろくろ、たたら、ひねりだし等の方法で作ったものが多く見られます。
主な産地・拠点 | 茨城県 |
このワザの職業 | 陶芸家 |
ここでワザを発揮 | 洋食器 和食器 花器 置物 |
もっと知りたい | ネット de 笠間焼(笠間焼販路開拓研究会) 伝統工芸 青山スクエア 笠間焼協同組合 |