出雲石燈ろうの歴史
茶道とともに発展。
松江城主が守った石燈ろう技術
出雲石燈ろうの起源は、照明器具として用いられた奈良時代までさかのぼるといわれています。原石は、松江市宍道(しんじ)町で多く産出する1400万年前に生成された凝灰質砂岩・来待石(きまちいし)を使用。本格的に発展したのは、江戸時代になってから。安土・桃山時代に起こった茶道の流行で、庭園の石燈ろうも「わび・さび」を感じさせるものが人気を博したのです。その後の江戸時代後期、茶に造詣が深かった松江藩七代藩主・松平治郷が出雲石燈ろうを高く評価。「お止石(おとめいし)」として、一般人の採掘の禁止や職人たちの囲い込みなど、保護政策を実施したのです。明治時代以降には、造園をはじめ、室内装飾にも用いられて「美術品」として価値を築きました。
出雲石燈ろうの魅力
時と共に自然と一体化。
江戸のものが今に残る高い耐久性
原石の来待石は吸水率が高いため、苔が早くつきやすく、自然と調和する性質を持っています。陽が出る時間帯は、凝灰質砂岩という細かい粒子で構成される表情が、気品の高い優雅さを演出。夜になれば、石燈ろうの中で揺れる火が幻想的な雰囲気を醸します。一日という時間だけではなく、切り出したばかりの青灰色が、時とともに灰褐色へと移り変わるなど、年を越えた趣を生み出します。この情景に「わび・さび」の茶道を完成させた千利休も魅了されたそうです。さらに、高い耐寒性・耐熱性も魅力のひとつ。江戸時代の出雲石燈ろうが現代に残っているほど耐久性に優れており、日本庭園の美しさを長く保ってくれます。石燈ろうの形も、主要となる台の六つの部分を変化させれば130種類以上。庭園にはかかせない美術品です。
出雲石燈ろうができるまで
地元の石を使い、
自然・庭園・石燈ろうを考え彫る
出雲石燈ろうは、松江市玉湯町~宍道町にかけて東西約10kmに広がる来待石を採掘することから始まります。その後、切り出された原石を、手斧、つるはし、のみなどを使う型造り、接合、彫り、仕上げをし、全体の調和を整えて完了です。来待石を彫る際、いかに柔らかい曲線を出せるかが重要となります。その曲線が石燈ろう全体にどう調和するのか、庭園とどう調和するのか、自然とどう調和するのか、すべてを考えて彫ることで、いつまでも愛される出雲石燈ろうができあがるのです。
主な産地・拠点 | 鳥取県 島根県 |
このワザの職業 | 石工 |
ここでワザを発揮 | 庭園用石燈籠、神社仏閣奉納用石燈籠 |
もっと知りたい | モニュメント・ミュージアム 来待ストーン 島根県物産観光館 |