三重県 伊賀くみひも

 伊賀くみひもの歴史

明治中期に再び開花。
忍者、武士、貴族が愛した紐

伊賀くみひも伊賀くみひもは、奈良時代以前が始まりだといわれています。奈良時代では、経巻(経文を書いた巻物)といった仏具の紐、平安時代では貴族の装束などを飾る紐、そして鎌倉時代以降は武士の甲冑や刀の紐をはじめとする実用品として活用されました。戦国時代末期には、忍者が使用していたという記録も伝えられています。明治時代に入ると一変、廃刀令(1876)によって武具の需要が減り、くみひもの生産も停滞。しかし、和装小物(くみひも製帯締め)の流行と、明治35年(1902)に江戸のくみひも技術を習得した広沢徳三郎が設立した伊賀の糸組工場により、再び伊賀くみひも産業は開花しました。和装の中心地である京都との地理的条件が良かったのも、理由のひとつです。現在、和装の帯締め以外にも、ネクタイやインテリア用品を生産するなど、伝統を踏襲しつつも、時代に合わせた伊賀くみひもの新たな可能性にチャレンジしています。

 伊賀くみひもの魅力

手組の帯締めの90%を生産。
数十本が織り成す繊細な美しさ

伊賀くみひも伊賀くみひもの中で、特に有名なのが手組の帯締め。絹糸と金属糸などが織り成す光沢美と丈夫さで、全国の生産量約90%を占めるほど、高い人気を誇ります。伊賀くみひもは、美しく染め上げられた数十本の糸を、高台・丸台・角台・綾竹台という伝統的な組台を使い分けて、一筋一筋を手作業で組み上げます。それが、組紐独特の風合いをつくりだし、多彩な表情を生み出しているのです。また、時代に合わせて進化する柔軟性は現代にも息づき、バッグやストラップなど、斬新な組紐の姿を見ることができるのも魅力です。

 伊賀くみひもができるまで

一本一本を手作業で仕上げ。
染色と組み上げに職人のワザ

伊賀くみひもができるまで染色と組み上げ、この大きな2つの工程で伊賀くみひもは作られます。まず、絹糸を必要な分だけ仕分ける糸割りからスタート。完成品のイメージから、紐の本数分を目方で分けます。そして、染色。染料の微妙な調合を見極めて糸を繰り返し浸すことで、深い色合いを生み出します。思い通りの色をムラなく染め上げるには、熟練したワザが必要です。その後、糸繰り、経尺(へいじゃく)、撚(より)かけを経て、組み上げの準備を整えます。丸組紐、角組紐、平組紐といった組紐の種類に合わせて、丸台、角台、綾竹台、高台などの組台を使い分けて組み上げていきます。最後に房付け、湯のしで整えられ、転がし台で仕上げて完成です。

主な産地・拠点 三重県
このワザの職業 組紐職人
ここでワザを発揮 帯締め、羽織紐、ネクタイ
もっと知りたい 組匠の里