秀衡塗の歴史
藤原秀衡が京都の工人に漆と金を
使った器をつくらせたのが起源
平安時代末期、岩手県平泉町に仏教美術をもたらした藤原秀衡が京都から工人を招き、この地方特産の良質な漆と金をふんだんに使った「器」をつくらせたのが始まりと伝えられています。江戸時代後期からは、平泉町の隣に位置する衣川村(現在の奥州市)増沢で漆器が盛んに製造されました。しかし、昭和三十年代に増沢ダム建設の影響から工房は県内各地に分散。現在は、秀衡塗の伝統をしっかりと受け継いだ職人が、時代に相応しいデザインも試行錯誤し採り入れています。
秀衡塗の魅力
格調高き、金の有職菱紋。
黒や朱の漆本来の上品な艶
いくつかの菱形の組み合わせで作られる、金の有職菱紋(ゆうそくひしもん)が格調と力強さを醸し出す秀衡塗。こうした絢爛豪華なイメージも秀衡塗の特徴ですが、黒や朱の漆などは光沢をおさえた仕上げが施されているので、漆本来の上品な艶を味わえるのも大きな魅力です。また、多種多様な意匠の中でも特徴的なのが、椀の土台部分が高く、裾ひろがりに反り、たいへん堂々とした趣のある「秀衡椀」です。機能性においても優れており、汁などを注いだ際の椀の重さや、椀を持った際の熱の伝わりまで考慮されています。
秀衡塗ができるまで
木地づくりは、狂い無く。
上塗りの工程は埃に細心の注意
木地づくり、漆塗り、加色の3つの工程に大別できる秀衡塗づくり。一人一貫体制ではなく、各工程を担当する職人によって作品は生まれます。まずは、出来上がりの寸法よりも大きめに削りだしていきます。その後、ろくろにガイドを取り付けて、狂い無く慎重に真円状のお椀を削りだし、水分の浸透を防ぐ「木地固め」の工程へ移ります。さらに、木地の薄い部分を補強するため、布を巻きつけるなど、頑丈な下地をつくってきます。そして、下塗り、中塗り、上塗りと、3段階で漆を塗っていきます。上塗りは、埃ひとつつけることができない、漆塗りの作業の中で最も神経を使う工程です。上塗りの終わったお椀に、和紙に書いた模様を転写し完成となります。
主な産地・拠点 | 岩手県 |
このワザの職業 | 塗師 木地師(漆器) 蒔絵師 |
ここでワザを発揮 | 椀、盆、菓子器、重箱、茶器、花器 |
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