江戸押絵羽子板の歴史
宮中文化の羽子板と押絵が
庶民文化全盛期の江戸で出会う
「羽子板」は古くは魔除けや神事に使われていたとされ、「胡鬼板(こぎいた)」「羽子板(はねこいた)」と呼ばれていました。初めて文献に登場するのは室町期。「寛聞御記」に永享4(1433)年の正月に宮中で公家や女官が「こぎの子勝負」(羽根つき)に興じたという記述があります。以来、邪気を祓う正月の贈り物、正月の遊戯、女の子の誕生のお祝いとして今に伝わっています。
一方の「押絵」は、宮中で女官達が端布を用いて屏風や香箱などに装飾したものが、江戸時代になり庶民にも流行ったそうで、全く別の道を歩んでいました。
この2つが一緒になり、「押絵羽子板」が誕生したのは、江戸の文化が熟成した文化文政の頃。縁起の良い羽子板に、当時の江戸っ子たちに大人気だった歌舞伎役者を押絵にしてあわせてみたところ、大変な人気となりました。当時は浮世絵師が下絵を描いていたようです。浮世絵や歌舞伎などの庶民文化が隆盛を極めていた江戸だからこそ誕生した、工芸の名品と言えるでしょう。
現在でも、羽子板市などで職人達の技の競い合いを見ることができます。
江戸押絵羽子板の魅力
小さな空間に現れる
華と躍動感ある一場面
小さな板の上の限られた空間の中に、歌舞伎の一場面を切り取ってきたような華やかな躍動感ある世界が再現されているのが押絵羽子板の魅力です。
決められた形の中で、いかに人物の動きや表情・季節の情景等を描くかが腕の見せどころ。演じる役者の心情まで表現されています。顔の描写だけではなく、手の表情や角度、手描きされた衣装の柄、立体感の出し方といった細かな部分も見所です。背景や小道具、裏絵等に演目や役者にちなんだ遊びがこっそり入れられていることもあるので、見逃せません。
縁起の良い絵柄が施されている裏面も楽しめます。
江戸押絵羽子板ができるまで
下絵描きから打ち込みまで
たった一人で多工程をこなす
限られた空間でいかに表現するかを考え、立体化することを念頭に置いた下絵を作成。下絵にあわせて、ボール紙で50以上もある各パーツの型紙を切り出します。型紙を布の上に置き、必要な分量の布を切り取ります。ボール紙と布の間に綿を入れ、コテを用いてふっくらとくるみます。絹糸を束ねて髪の毛を作り、少しずつ植え込んでいきます。顔の部分は布の上に胡粉を塗り、目元や頬などのぼかしを入れた上から再び胡粉を塗布、表面を滑らかに整えます。面相筆で目鼻などの顔を描き込みます。各部品を和紙と糊で張り合わせ、コテを用いて組み上げていきます。盛上げ胡粉等の日本画の技術を駆使して衣装に柄をつけ、髪飾りなどの小物、部品もつけていきます。羽子板の裏面に絵を描きます。表面からくぎを打ち、押絵を羽子板に固定します。
主な産地・拠点 | 東京都 |
このワザの職業 | 押絵羽子板職人 |
ここでワザを発揮 | 江戸押絵羽子板 |
もっと知りたい | 江戸押絵羽子板|東京都伝統工芸士会 |