江戸木版画の歴史
江戸時代の浮世絵師が創出。
単色から多色摺りと色鮮やかに
日本に木版画の技術がもたらされたのは飛鳥時代とされ、当時は墨一色で文字だけの経文が作られていました。法隆寺の「百万塔陀羅尼文(ひゃくまんとうだらにもん)」は現存する世界最古の印刷物と言われています。木版で「絵」を表現するようになったのは「摺仏(すりぼとけ)」が最初で、やはり仏教的な意味合いがありました。
江戸時代になると娯楽書を含め挿絵入りの多くの書物が木版で印刷され、次第に絵だけを鑑賞する一枚絵が発展していきました。同時に制作は、元絵を描く絵師、元絵を貼った板を彫る彫師、バレンで摺り出す摺師という3者の分業制となりました。
一枚絵となっても最初は墨一色の「墨摺絵(すみずりえ)」でしたが、次第に朱色の「丹」で手彩色を施した鮮やかな手彩色版画が登場します。その後、3色程度の色版による「紅摺絵(べにずりえ)」が刷られ、明和初期頃に裕福な町人による趣向を凝らした絵暦の交換会が流行し、「見当(けんとう)」という複数の版木の同じ場所に印をつけ多色刷りのずれを防止する方法が開発されてからは、金や銀、中間色等10色以上の豊かな色彩と技工をもった錦絵が誕生しました。
江戸木版画の魅力
力強い絵を生む色彩美。
江戸時代の浮世絵を今に
江戸木版画の魅力は、何よりも江戸時代の人々の息吹を間近に感じられるところにあります。画題は当時の人々が憧れた景色や人物、流行した着物の色柄、心躍らせた物語、または何気ない庶民の暮らしの一場面や、四季折々の江戸の行事など。見ているだけで当時の暮らしが垣間見えます。
また絵師、彫師、摺師それぞれが代々受け継いできた技術を駆使し、三者が一体となって一枚の絵を生み出すという、分業の妙も見所です。
全てが手仕事となるため、版下絵の線の強弱、版木の彫りの強弱、湿度によって変わる絵の具の硬さや量、手加減一つで変わる摺柄など、それぞれ熟練の職人による微妙な加減を味わえます。
江戸木版画ができるまで
絵師、彫師、摺師が一体となり
精緻な木版画をつくりだす
絵師が薄手の和紙に墨で版下絵を描きます。彫師が版下絵を裏返しに、桜材の版木に貼り、版下絵の線に沿って小刀を使って彫っていきます。多色刷りの場合、まず最初に輪郭線となる墨板を彫り、順に色摺用の色板を仕上げていきます。このとき、摺りの段階でずれないように各版木の同じ場所2か所に「見当」を彫っておきます。摺師が、薄い色を用いる版木から順に摺っていきます。版木の上に絵の具を置き、必要な部分に刷毛で広げ、見当に合わせて和紙を置きます。バレンを用いて紙の上からこすり、絵の具を紙にしみ込ませていきます。仕上げの効果によって、様々なバレンの使い方があります。次第に濃い色の版を摺り合わせ、15〜20回、多い時には30回を超す場合もの色摺を重ねて完成します。
主な産地・拠点 | 茨城県 千葉県 東京都 |
このワザの職業 | 絵師 彫師 刷師 |
ここでワザを発揮 | 木版画 |
もっと知りたい | 東京伝統木版画工芸協同組合 江戸木版画|東京都伝統工芸士会 菱川師宣記念館 |