海外で評価された「能面」。
江戸木彫刻の新たな扉が開く。
江戸期に花開いた、
木彫刻の工房を訪ねる
東京でもお祭りの季節になると、普段はビジネススーツを着た人が行き交うような街の辻から、賑やかな祭囃子と威勢の良いかけ声が聞こえてきます。法被姿の男衆が肩を寄せ勇壮に担ぐのは、煌びやかなお御輿。この御輿をよく見ると、龍などの生き物や絵物語など、見事な木彫刻の装飾が施されていることに気づきます。東京都指定の伝統工芸「江戸木彫刻」は、御輿をはじめ、寺建築の柱に施す獅子頭など、建築彫刻にその姿を見ることの出来る伝統の技です。
木彫刻は、仏教伝来とともに大陸から伝わり、その後の時代を経て江戸時代に一気に花開いたと言われています。江戸の職人たちの知恵と工夫、心意気を引き継ぐ「江戸木彫刻」。その技を親子で守る「北澤木彫刻所」を訪ね、お話をうかがいました。
親子二代で守る
江戸木彫刻の職人技
葛飾区にある「北澤木彫刻所」は、気をつけていないと通り過ぎてしまいそうな住宅街の一角にあります。二階建ての一階が作業場になっており、そこには北澤一京・秀太父子が鑿(のみ)を打つ音が軽快に響いています。
北澤一京氏といえば、浅草で名工と謳われた飯島米山に師事し腕を磨いた、業界では知らぬ者のいない彫刻師。手がけた仕事には、成田山新勝寺の獅子頭、富岡八幡宮の御輿などがあり、その腕を見込んだ石原裕次郎夫人のまき子さんが、裕次郎氏の仏壇彫刻を依頼したことでも有名です。昭和15年生まれという一京氏ですが、道具を使う手は力強く、確かな腕を頼りに今も多くの仕事が持ち込まれています。鑿や鉋の道具は、注文仕事に合わせて一本一本拵えていくのだそうで、鑿だけでもおそらく300本はあるとのことです。
そんな名工の長男として生まれた秀太氏は大学卒業後、父のもとへ弟子入りします。一度も「継いでくれ」と言われことはなく、自身の決断で飛び込んだ木彫刻の世界。文字通り父の背中を見ながら、道具の手入れ、下仕事をこなす修業時代を過ごします。現在、秀太氏は父と同じく、伝統的な仕事である寺社の建築彫刻も手がけていますが、その他、能面制作の仕事も手がけます。父とは違う独自のキャリアは、ある師匠との出会いで開けます。
二代目が切り拓く
能面師としての仕事
「最初の出会いは、江戸木彫刻組合の勉強会でした。江戸木彫とは違う様々な分野の先生に教えを請い視野を広げるという勉強会で、面打ち師の伊藤通彦先生をお招きし、一年かけて般若の面を作りました。これまで父から職人としての仕事を学んできましたが、先生の物作りは芸術的なアプローチが新鮮でした。彩色という、江戸木彫にはない工程も面白かったですし、もっと習いたいと、伊藤先生に弟子入り志願しました」。もともと、能楽に興味があったというわけではないと言う秀太氏。しかし探求心が高じ、今ではご自分も狂言を習い舞台に立つこともあるのだそうです。伊藤通彦氏は野村万作に面を納める面打ち師。その作品は実際に舞台で使用されています。秀太氏もまた、制作する面は実際の舞台で使用されています。それも、ある人との出会いがきっかけだったのだそうです。
「伊藤先生に弟子入りしてすぐに狂言師、故・五世野村万之丞師と知り合い、その方に制作を依頼されたのが始まりですね。能面を制作していても、なかなか使い手と出会う機会は少ないものですが、私の場合は期せずして最初から会えたんですよね」。
秀太氏が魅入られた能面の制作工程を、少し見せていただきました。
木の塊がみるみる
面に変化する荒彫り
「木の塊から形が現れてくる“荒彫り”が、工程の中で一番面白いんじゃないでしょうか」と言う秀太氏。床に直に腰を下ろし、万力で固定した木の塊を荒彫り鑿で削り出していきます。木の材質は木曽檜だそうです。金槌で鑿を叩く手に迷いは感じられず、想像以上のスピードで木の塊は形を変えていきます。これほどのスピードで削ると、手元が狂って削りすぎた、ということにならないのでしょうか。
「彫る前に粘土を製作したり下図を描いたりすることで、頭の中には、ほぼ完成形があります。できあがりのイメージを、ぱっぱっと形にしていくので失敗はないですね。途中でもっといいプランに変更することはありますが」。とは言え、寺社建築の彫刻などの仕事に携わって培った腕があればこそでしょう。
「面自体は彫刻1週間、彩色1週間と言われ、約15日で出来てしまいます。その前段階で依頼者とイメージを共有するのに時間がかかりますね」と、秀太氏。現在、伝統的な能狂言の面以外に、現代劇のために面を製作することも多いとのこと。誰も見たことのない面の仕上がりを、粘土や下図を用いて事前に共有することは、欠かせない工程となっています。
海外の演劇で使う
能面製作に没頭する
能狂言という演劇スタイルを、海外の演劇家が現代劇に採り入れることは少なからずあるそう。昨年はオレゴン州ウイラメット大学演劇学科が製作した、メキシコ人の画家「フリーダ・カーロ」の生涯を描いた演劇で秀太氏が製作した面が使われました。この劇の芸術監督が所属するサンフランシスコの劇団は2011年にシェークスピアの「リヤ王」を能舞台形式で上演しており、主役のコーデリア姫の面を秀太氏が製作しています。また、別の劇団ですが、ロックンローラー「エルビス・プレスリー」を主役にした演劇のために、やはり秀太氏が面を製作。どの面も骨格は外国人ですが、そぎ落とされた造形、見る者の心を映すように見る角度で変化する表情、どれを取っても“能面”らしい印象を持ちます。秀太氏は実際に上演された「エルビス・プレスリー」を鑑賞したそうですが、能の「謡」独特の抑揚に英語の台詞が上手にのっていくのだそうです。能面についての講演依頼で、海外の大学に招聘されることもとても多いそうで、昨年は寺社建築の仕事よりも、能面製作の仕事が多かったとのことです。
積極的に出て行き
江戸木彫刻を伝える
江戸木彫刻の伝統的な仕事は、年々減少しています。また、これは江戸木彫刻に限ったことではないですが、職人は仕事がやってくるのを待っているだけでは駄目な時代にもなってしまいました。秀太氏は、言います。「江戸木彫刻を知っていただくために、講演会とかの機会があれば積極的に出て行きます。また職人も自分から仕事をつくり出したり、商品を企画したり、販路を切り拓いたりしていかないといけない時代。声を掛けられたら、出来るだけお応えしたいと思っています」。
木は身近な資源として、昔から日本人の暮らしに息づいて来ました。現代の暮らしでも、木を装飾する技術である木彫刻は案外近くにあります。そういう意味では、江戸木彫刻には多くの活躍の場が残されていると思います。秀太氏の切り拓いた能面を始め、まだまだ新たな世界が切り拓かれていくのではないでしょうか。