房州うちわの歴史
竹の産地からうちわの生産地に。
最盛期には年間800万本を生産
関東でうちわ作りが始まったのは、江戸時代のころ。当時、房州(現在の千葉県房総半島南部)は、うちわの材料となる細くてしなやかな女竹(めだけ)を送り出す産地でした。のちに「日本三大うちわ」と称されるようになる房州うちわの生産は、明治10年に那古町(現在の館山市那古)に始まり、明治 17年(1884)には、安房郡の一大物産として生産されていたとのことです。大正12年の関東大震災で、東京のうちわ問屋の大半が多大な被害を受けました。そのため、竹の産地に近く、東京への船便があった那古港に近接した船形町(現在の館山市船形)に問屋の多くが移住し、生産を始めるように。それが引き金となり、房州うちわの生産が拡大し、最盛期を迎えた昭和10年代には年間約800万本を生産。それが、扇風機やエアコンの登場・普及により、年間生産量は約30万本へと激減。しかし、そんな中でも平成15年には、千葉県では唯一の経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定を受けました。
房州うちわの魅力
軽くて丈夫。多彩な形状に、
竹の持つ丸みを活かした柄
うちわと言っても形状はさまざまで、房州うちわには「丸型」、なめらかな曲線を描く「卵型」、柄(え)が長く、両手の平でクルクルと回しながら涼風を楽しめる「柄長」のほか、「大型」や特注デザインの品も作られているのが特徴です。また、良質の女竹を骨部分に、真竹(まだけ)を弓部分に使用し、本体に柄を差し込んで仕上げる京うちわ、柄が平らな丸亀うちわに対して、竹の持つ自然な丸みを生かした丸い柄であることも大きな特徴。すべて手作業で作り上げられる扇州うちわは、柄の先端を48~64等分に割いて骨を糸で編んで作られるので軽くて丈夫。さらに、半円で格子模様の「窓」がたいへん美しい、職人たちの伝統の技が生きるうちわでもあります。
房州うちわができるまで
すべて手作業で行われる21工程。
一本の竹を割き、柄と骨を作る
すべて手作業で行われる房州うちわの製造工程は全部で21あり、分業で作られます。房州うちわづくりは、女竹の選別・切り出しから始まります。この作業は、竹の肉が締まっていて虫がつかない、10月から1月の間に行います。切り出した竹は、一晩水につけて割き易くする「水付け」をし、割いた竹の裂け目より10cm程度上のあたりに糸をかけて、割いた竹が一直線に並ぶように編む「編竹(あみだけ)」の工程を経て、柄を切って長さを整え竹の空洞に柳の枝を詰める「柄詰(えづ)め」の工程に移ります。その後、編み上がった竹の間隔が均等になるように揃えて、扇型に広げ成形し結う「下窓」、「窓作り」を行います。さらに、加熱して骨組の形状を安定させる「焼き」を行い、あらかじめうちわの形にカットしてある表面と裏面の紙を貼る「貼り」、紙を貼った部分にローラーをかける「仕上げ」を施し、完成です。
主な産地・拠点 | 千葉県 |
このワザの職業 | うちわづくり職人 |
ここでワザを発揮 | うちわ |
もっと知りたい | 房州うちわ振興協議会 |